『夢に棲む』       〜時計仕掛けのシェイクスピア〜     第四稿       作:玉村 徹 -------------------------------------------------------------------------------- 【キャスト】   ミヅキ   ユキエ   真也   *この3人がスタッフを兼ねる。 --------------------------------------------------------------------------------   *舞台の一角。時間は昼下がり。ベンチが一つ。あとは適当に。 公園のざわざわ音・鳩の羽ばたき音を音響で。ただし、この音はステージ上上手袖に置いたMDラジカセから流すものとする。 照明操作者は真也役の生徒。(調光室) 音響操作者はユキエ役の生徒。(ステージ上手袖)   *下手よりミヅキ登場。制服姿。 ベンチに腰を下ろす。 ややあって、本を取りだして読む。 ミヅキ   「夜の闇は恋の舞台とも言う。 闇よ、すきまなくそのとばりをめぐらしておくれ。 そして人々の目を覆っておくれ。 人に知られることなく、あの人がまっしぐらにわたしの胸に飛び込んできて下さるように。 お願いだわ、純潔・・・無垢? 純潔無垢ね。 お願いだわ、純潔無垢の男と乙女、その二人を賭けたこの勝負に、勝ってしかも負けるという、その秘訣を教えておくれ。 そして、頬を染める若い血を、その黒いマントで隠しておくれ。 そうすれば、きっと臆病なわたしの愛も大胆になって、恋故のはしたない振る舞いも、当たり前のことと思えるようになるに違いない。」 ・・・うーん、なんていうか、これは、かなり恥ずかしい・・・。   *ユキエ、下手に登場。照明はサス。ナレーション。なお、しばらくはミヅキとは別空間ということにする。 ユキエ   彼女は山本ミヅキといいます。みなさんには「初めまして」でしょうけれど、わたしには親友です。それから、一応このお話の主人公です。ご覧の通り、あんまり頭がいい・・・ほうではないし、勉強とかもそんなに好じゃない、まあ、言って見ればどこにでもいる、ミヅキは普通の女子高生です。あ、遅れました、わたしはユキエ、大澤ユキエ、といいます。わたしは、このお話のナレーター兼主要登場人物、というところです。   *ミヅキ、なんとなくベンチの下を見ると置きざられたスポーツ新聞。 ミヅキ   なにこれ。野球選手?・・・「フランクリンが大阪ドームに詰めかけた阪神ファンの度肝を抜いた。こんなドデカいホームランを打った阪神の選手を、ここしばらくは見たことがない。」ふうん。なんだかしんないけど。ほめてんだかけなしてんだか。あれ、スポーツの記事しかない・・・野球にゴルフ、これなに、ボート? ユキエ   真面目な高校生だったら真面目に学校に行っていなくちゃいけません。そして退屈な授業を全然退屈じゃない、そういう顔して聞いていなくちゃいけません。それがどうして昼間から公園のベンチでスポーツ新聞を読んでいるかというと・・・ちょっとミヅキ、スポーツ新聞ってどういうもんか、わかってる? ミヅキ   あとは・・・競馬、競輪、ふうん。あれ? なにこれ。「誰がために腰を振る」? ああ、ヘミングウェイ? ユキエ   あのね、それは「誰がために鐘は鳴る」。どうして腰なんかふるの。 ミヅキ   ・・・「専業主婦のA子さん(二三)は退屈しきっていた。ある日、暇を持て余し露出度の高いワンピースを着て繁華街を歩いていたら、今風の男に声を掛けられた。「お嬢さん、短時間でいい収入になるバイトがあるんだけど」」・・・なんでこういうことが新聞に。   *まわりを確かめるミヅキ。誰もいない。 ミヅキ   よし、オッケー。 ユキエ   なにがオッケーよ。 ミヅキ   「・・・話を聞けば、昼間からやっているパブのバイトの話。 驚いたのは時給なんと五〇〇〇円。「ただし女の子は全員下着姿になってもらう」」 これってほんと? ユキエ   だから、ミヅキには刺激が。 ミヅキ   時給5000円なんて! ユキエ   そうじゃなくて! ミヅキ「肉感的なバディが受けて、A子さんの客受けは上々だった。ところが働きだして一週間目、なんと彼女の夫がお客として来店したのだ。そして」   *ユキエ、ミヅキに接近する。照明はサスが消え、舞台全面を照らす。ここから二人は同一空間に。 真也役の生徒、ステージ上手袖に移動。 ユキエ   ミヅキ、いい加減にしたら。なにやってんの。 ミヅキ   え? ええ? ユキエ   ほんとにもう、人が親切で様子見に来れば。 ミヅキ   なんだ、ユキエか。 ユキエ   「ユキエか」じゃないって。・・・見てたよ。 ミヅキ   なに、なにをさ。 ユキエ   落ちるトコまで落ちたね。 ミヅキ   何・・・なに馬鹿いってんのさ。 ユキエ   ちょっとでも勉強してると思ったら、ほんとに・・・そろそろいいんじゃない、戻ってきても。いい加減、鳩にエサやるのも飽きたでしょ。 ミヅキ   なんのまだまだ。ね、今日はなに? ユキエ   親友の忠告よりも食べもの? はい。   *ユキエ、コンビニの袋を渡す。 ミヅキ   誰が親友だって。 ユキエ   あたしが。毎日こうやってお昼差し入れに来てあげてるあたしが、親友じゃなくてなに。あ、飼い主ってことでもいいけど。 ミヅキ   それ口実にして午後の授業サボってんのは誰。 ユキエ   そうゆうことゆうなら返して。 ミヅキ   あたしたちってば親友よね、ユキエ。 ユキエ   都合いい。   *ミヅキ、袋をまさぐる。ユキエ、ベンチに腰を下ろそうとする。 ミヅキ   あ。 ユキエ   なに? ミヅキ   う、うん、なんでもないんだけど。 ユキエ   どうかした。 ミヅキ   そこはね・・・その場所は。 ユキエ    なに? どうかした? ミヅキ   いやその。なんでもないんだけど。 ユキエ   なあに? ミヅキ   ええとね・・・まあ、いいんだけど。 ユキエ   なに? 予約済み? ・・・ああ。 ミヅキ   なによ、それ。 ユキエ   ああ、そうゆう・・・なるほどねー。 ミヅキ   ちょっと、なにがなるほどなの。 ユキエ   全然気が付かなかった。そうなんだ。ミヅキ、ほんとはすごく奥手だし・・・でもとうとう。ああ、そっか、さっきの新聞だって。 ミヅキ   なんか凄い誤解してない? ユキエ   どうして? きっちりわかってるよ? ミヅキにとうとう彼氏ができたってことでしょ? おめでとう。 ミヅキ   あのね、だからどうして。 ユキエ   「誰がために腰は振る」 ミヅキ   そ、それは。 ユキエ   とうとうミヅキも運命の人と・・・ここにくるの? なんか、とっても嬉しい。あ、あたし、今度クッキー焼いてくるね。お祝いしないと。 ミヅキ   何馬鹿いってんのよ。そうじゃなくて・・・知り合い。ちょっとした。 ユキエ   最初はみんなそういうんだよね、「し・り・あ・い」。 ミヅキ   だから。昨日会っただけなの。なんか、面白そうな人だったから。 ユキエ   ふんふん、面白そうな人、と。 ミヅキ   メモするな! ユキエ   あのね、ミヅキは知らないでしょうけど、ミヅキのこと、好きだった男の子、結構いたんだよ。 ミヅキ   へえ? ユキエ   ほんと。世の中、いろんな人がいるよね。 ミヅキ   あのね、それってどういう意味。 ユキエ   ほんとだよ。人気あったよ。 ミヅキ   嘘。 ユキエ   嘘じゃないけど。 ミヅキ   嘘。 ユキエ   違うって。 ミヅキ   嘘だ。だって、ほんとなら、どうして。 ユキエ   あ・・・ミヅキの気持ちも分かるけど・・・あの時は、みんながみんな、ってわけでもなかった、そうは思わない? ミヅキ   だって、それならどうして、あんな。 ユキエ   それは・・・わたしもみんなの気持ちまでは。 ミヅキ   ほら、やっぱり。 ユキエ   でも、まわりはみんな敵、そんなふうに思うのはもう・・・そろそろやめたら? そんなの辛いだけじゃない。 ミヅキ   でも。ユキエは知らないから。あんたにはわかんないんだよ。 ユキエ   うん、わかんない。 ミヅキ   ユキエ。 ユキエ   ミヅキのいうとおり。 ミヅキ   ごめん。 ユキエ   そうだ、知ってる? 最近、ミナに彼氏ができたの。 ミヅキ   えー、なんで! ユキエ   そう言うと思った。 ミヅキ   あんな根性曲がりの自分勝手のブリッコの・・・。 ユキエ   それ、死語。 ミヅキ   結局あたしだけが悪者にされて、みんなからシカトされて・・・あいつの頭の上に雷が落ちますようにって毎日お願いしてるのに! ユキエ   あの、ちょっといい? ミヅキ   なに。 ユキエ   雷はおちないよ。 ミヅキ   へ? ユキエ   いくらなんでも、雷なんかおちるわけ、ないじゃない。 ミヅキ   あのね、これは言葉のアヤで。 ユキエ   そんなふうにはなってないよ、この世界は。アニメじゃないから、「正義は必ず勝つ、そして悪は滅びるのじゃ〜」なんてことにはなってない。 ミヅキ   それは。 ユキエ   ミヅキはここで何してるの? ミヅキは正義なの? 正義だったら、どうしてこんなとこでこんなことしてるの? ミヅキ   ユキエ。 ユキエ   それからね、ミナだって、そんなに「悪」だとは思わないけど・・・やっぱり悪は滅びないと思う。だから、あたしたちにできることは、あきらめないこと、それから、強くなることだと思う。そして、幸せになることだと思う。 ミヅキ   ユキエ。 ユキエ   あたし、なんか変なこと言った? ミヅキ   可愛い顔して・・・言うことはきついんだよね。 ユキエ   ありがとう。 ミヅキ   ほめてないって。 ユキエ   あ、でも、あたし、かなり嬉しいよ。ミヅキに彼氏ができた、それがすごく嬉しい。それって、つまり、やっとミヅキが幸せになった、ってことだから。 ミヅキ   ・・・ちょっと違うかな。 ユキエ   違う? どこが。 ミヅキ   あたしは幸せだよ。幸せだったよ、ずっと。 ユキエ   でも。 ミヅキ   そうじゃなくて、ユキエがいたから。ずっと、そばにいてくれたから。 ユキエ   あたし? ミヅキ   うん。だから。 ユキエ   なあに? これは・・・「ロミオとジュリエット」? ミヅキ   うん。 ユキエ   あ。つまり、相手の人は。 ミヅキ   そうなの。 ユキエ   イタリア人。 ミヅキ   違う! あんたって、どうしてそうなるのよ。 ユキエ   じゃあなに。 ミヅキ   これよ。これ、やってる人なの。 ユキエ   これって。ああ。 ミヅキ   そう。役者。ていうか、まだ有名じゃないから、役者志望、ってことかな。 ユキエ   待って・・・いま、あたしの耳には、社会の寄生虫、って聞こえたんだけど。 ミヅキ   ユキエ、あのね。 ユキエ   役者志望って言ったら、生活力ゼロ、将来性ゼロ、特技と言えば声が大きいこと、でもプライドだけは無限大、ってことでしょ。 ミヅキ   もう、あんたと話してると頭が変になる。・・・あのね、昨日ね、やっぱりここにこうしてたら、その彼が来て、いきなり。   *真也、上手から登場。ミヅキ(のほう)に向かってセリフ。 真也    「なんだろう、あの向こうの窓から射し込む光は? あれは東、ならばあなたは太陽だ。」 ユキエ   たしかにいきなりね。 真也    「美しい太陽よ、昇るがいい、そして嫉妬深い月など殺してしまうがいい。月に仕える乙女のあなたは、主人よりもはるかに美しい・・・・月などもう悲しみのあまり青ざめてしまっているではないか?」 ミヅキ   だから、この人が。 ユキエ   寄生虫ね。 ミヅキ   やめてよ、ユキエ。 真也    「ああ、何か言っている! おお、光り輝く天使よ、もう一度口をきいて下さい。夜の闇に輝くあなたの姿は、いってみれば美しい天使、その神々しさこそがまさしくあなたの姿。」 ミヅキ   「ああ、ロミオ様、ロミオ様! あなたはなぜロミオ様なの?」 ユキエ   ミヅキ。 ミヅキ   うるさい。「あなたの名前をお捨て下さいませ! それともそれがいやとおっしゃるなら、せめて私を愛していると、そう誓って下さいませ。そうすれば私も今日限りキャピュレットの名前を捨ててみせますのに。」 真也    「静かにして聞いていようか、それとも声をかけたものか?」 ユキエ   挨拶したらいいんじゃないですか。 ミヅキ   ユキエ、黙ってて! 「憎いのはあなたのその、お名前だけ。モンタギュー、なんでしょう、それが? 手でもない、足でもない、顔でもない、人の身体のどこでもない。バラと呼んでいるあの花は、名前がどう変わっても、匂いまで変わったりはしないわ。ロミオ様、どうか名前をお捨てになって。そして名前の代わりに、わたしのすべてをお取り下さい。」 真也    うん、いいね。昨日もいったけど、君、素質あると思う。じゃ、つぎは・・・。   *真也、脚本を読み返す。 ユキエ   あのね、ミヅキ。 ミヅキ   なによ。 ユキエ   ええとその、いいたくはないけど。 ミヅキ   じゃ、言わなくていい。 ユキエ   なにこれ? ミヅキ   ああ、紹介してなかったね。ええと、真也さん、こっちが。 真也    え? なに? ユキエ   い、いい。あたしは。脇役で我慢する。 ミヅキ   名前はね、真也、神村真也さん。見ての通り役者のタマゴ。昨日偶然、稽古してるトコに出くわして、それでちょっとお手伝いしたの。それで。 ユキエ   でも、やっぱり恥ずかしい・・・ ミヅキ   わ、わかってないね、ユキエ。演劇はシェイクスピアに始まってシェイクスピアに終わるって言ってね。基本なんだよ。 ユキエ   それ、あの人のセリフでしょ。 ミヅキ   う。 ユキエ   あたり? ミヅキ   あたしはね、経験ないからって断ったんだけど、すごく強引な人で。だからあたしは嫌々、その。 ユキエ   すごく楽しそうだった。チョコクッキーでいい? ミヅキ   あのね。   *真也、不思議そうにミヅキを見る。真也にはユキエが見えないのだ。 真也    山本さん? ミヅキ   はい? 真也    いや、いまなんか・・・しゃべってなかった?   *ユキエ、「×」のサインを出し、ミヅキの陰に隠れる。 ミヅキ   ええと、こっちは・・・うん、わかったよ。 真也    え? ミヅキ   なんでもないです。それで、次はどっからですか。 真也    う、うん。ええとね、セリフはもう覚えた? ミヅキ   はは、それはちょっと。 真也    いいよ、見たままでも。じゃ、さっきの「ロミオ様、どうか名前をお捨てになって。」から。・・・はいっ。 ミヅキ   「ロミオ様、どうか名前をお捨てになって。そして名前の代わりに、わたしのすべてをお取り下さい。」 真也    「お言葉通り、いただきましょう。ただ一言、僕を恋人と呼んで下さい。そうすれば、今日からもう僕はロミオなどではありません。」 ミヅキ   「え? 誰です、あなたは? 夜の闇にまぎれて、人の秘密を盗み聞くのは?」 真也    「さあ、誰と言われても、なんと名乗っていいものか・・・ああ、大事なあなた、僕は僕の名前が憎いのです。なぜなら、それがあなたの敵の名前だから。」 ミヅキ   「その言葉、その響き・・・耳が覚えております。ロミオ様、モンタギューの、ではありませんか?」 真也    「いいえ。あなたがお嫌いなら、どちらでもありません。」 ミヅキ   「どうしてここへ・・・そしてなぜいらしたの? 塀は高くて登るのは大変、それにあなたのお立場を考えれば、もし家の者に見つかれば・・・死んだも同然ですのに?」 真也    「こんな塀、恋の翼に乗って飛び越えました。できないことならいざしらず、できることならばどんなことでもする、それが恋というもの。」 ミヅキ   「でも見つかれば殺されます。」 真也    「やさしいあなたのまなざし、それさえあれば、僕は不死身なのです。」 ミヅキ   ・・・。 ユキエ   ミヅキ? 真也    山本さん? ミヅキ   あ、はい。あ、セリフ。 真也    いや、ここで句切ろう。いい感じだった。助かるよ、ほんと。 ユキエ   どうしたの、ミヅキ。 ミヅキ   う、うん。 ユキエ   良さそうな人ね。優しそうで。生活力はなさそうだし、将来性もなさそうだけど、優しそうだし。ミヅキがいいんなら。生活力はなさそうだけど。将来性も。 でも、ミヅキがいいんなら。 ミヅキ   はいはい。でもね、クッキーってわけにはいかないの。 ユキエ   どうして?   *真也、誰もいない方角を向いてしゃべり出す。 真也    いや、そういうつもりじゃないよ。 ユキエ   は? 真也    変なこと言うなよ。誤解されるだろ。ったく。 ユキエ   え? ミヅキ   こういうわけ。 真也    杏子はすぐそういうことを言うけどさ、僕も彼女もただ劇が好きなだけで・・・そうだよ。それだけだよ。強制したことなんか。うん。もちろん。 だよね、山本さん? ミヅキ   は、はい。 真也    ほらね。杏子はさ、基本的にオレを信じてないんだよ。そりゃ、オレも無茶したことはあったけど・・・うん。いつまでも昔のことばっか言うなよ。そりゃ確かに・・・ああもう、しつこいって。   *以下、真也は「杏子」としゃべり続ける。 ミヅキ   ・・・。 ユキエ   杏子さん? ミヅキ   うん。 ユキエ   だれ? ミヅキ   見えないでしょ。 ユキエ   うん。・・・見える? ミヅキ   ううん。見えない。あたしも。 ユキエ   じゃ、これって。   *真也と「杏子」がケンカして、「杏子」が帰ってしまう。 真也    おい待てよ。・・・ったく、しょうがねぇな。ごめん、山本さん、あの。 ミヅキ   ミヅキでいいです。 真也    じゃ、ミヅキさん。ごめん、なんか、へそ曲げちゃったみたいで。ちょっと心配だから見てくる。今日はあと、わかんないから、稽古はまた今度・・・明日とか、どうかな? ミヅキ   いいです、あたしは。 真也    ありがと。ほんとに助かる・・・笑っちゃうよな、杏子のヤツ。 ミヅキ   え? 真也    嫉妬してんのさ。まったく。 ミヅキ   嫉妬? 真也    そ。んなことないのにねえ? ま、とにかくまた明日、頼むよ。 ミヅキ   あ・・・はい。 真也    そんじゃ。また明日。   *真也、退場。 真也役の生徒、調光室に移動。 ミヅキ、本を広げる。 ミヅキ   「もういってしまうの? まだ朝には間があるのに。怯えていらっしゃるあなたの耳に、今届いたのは、あれは夜鳴き鳥の声。朝を告げるヒバリの声じゃありません。毎晩、あのザクロの木の上で鳴いています。ねえ、あなた、本当なんです。あれは夜鳴き鳥。だからいいんです、まだ行ってしまうには」 ユキエ   ・・・ええと。 ミヅキ   ええと。 ユキエ   すごく、覚えてるんだね。 ミヅキ   うん。練習したからね。昨日の夜。 ユキエ   その頑張りは勉強に向けた方がいいと思うけど。 ミヅキ   それ、あんたに全部返す。 ユキエ   意外な才能。ミヅキが劇なんて。 ミヅキ   うん。びっくりしてる。 ユキエ   おもしろい? ミヅキ   うん。あんたもやってみる? ユキエ   どうかな、あたしに向いてる役、なんかある? ミヅキ   うーん・・・ばあや。 ユキエ   ばあや? ミヅキ   うん。ジュリエットのばあや。うるさくて世話焼きでとんちんかんなとこもあって。 ユキエ   あのさ。 ミヅキ   うん。 ユキエ   駄目だと思う。 ミヅキ   駄目? ユキエ   うん。あの人は・・・やめた方がいいと思う。 ミヅキ   ユキエ。そういうことは言って欲しくない。 ユキエ   だって、この場合は誰が見ても。 ミヅキ   ユキエちゃん。 ユキエ   ミヅキ。 ミヅキ   あたし、帰る。 ユキエ   ミヅキ。 ミヅキ   また、明日。   * ミヅキ、退場。取り残されるユキエ。 そのまま照明が変化してサス、ナレーション体勢に。 照明操作者は真也役の生徒。(調光室) ユキエ   難しいことはよくわかりません。テレビとか新聞とか、いろいろいってますけど、そうゆうのはあんまりわからないんです。だいたい、バラエティとアニメしか見ないし。尊敬する人は? はい、ダウンタウンの松ちゃんです。・・・これでは駄目ですよね。 先生が言ってました。世紀末を迎えて、蓄積された社会構造のひずみが若年層に突出して現象化したのではないか、いやいや、戦後教育の欠陥による情緒障害だ、いやいや、都市化高度情報化のなかで生身の人間関係が希薄になり、現実感覚そのものが形骸化したんじゃないか、いやいや、少子化核家族化によって若者達は家庭内で十分に社会性が発達させられないまま成長してしまったのではないか。 これ、もういっぺん言え、なんて言わないでください。言えません。なんのことだか、わかんないんだから。 とにかく、いないはずのものが見える。それもアリ、今はそうゆう時代なんだそうです。街を歩いていても、結構見かけるでしょう。たのしそーに笑いながら話してるけど、隣に誰もいない、そういうの。 誰かを傷つける、ってこともないし、本人は幸せなんだから、まあ、とりあえずそっとしとこう、そういうことになってるみたい。 でも。 でも、こんなの、うまくいくのかな。   *照明変化。時間は翌日になっている。稽古に余念のないミヅキ。少し小道具が増えていると面白い。剣の代わりの棒とか。 真也役の生徒、ステージ上手に移動。 ユキエ   ね、こんなの、うまくいくのかな。 ミヅキ   いかないの。いくわけないじゃない。 ユキエ   だったら。 ミヅキ   二人の家はずっと前から敵同士なのよ。それはもう、殺しあいをしてるくらい・・・だから、絶対に許してもらえっこないのよ。 ユキエ   え? なんの話。 ミヅキ   もう。なんべんゆったら覚えるかな。モンタギュー家とキャピュレット家の話よ。いい? ロミオんちがモンタギュー、ジュリエットんちがキャピュレット。 わかった、ピーマン頭。 ユキエ   あの、ピーマンって。 ミヅキ   どっちも貴族の家柄なのね。で、すごく仲が悪い。道であってもいきなりケンカしちゃうってくらい、悪い。 ユキエ   あのさ、ミヅキ。 ミヅキ   ティボルト、ってヤツがいてね。これはジュリエットのいとこにあたる人で、つまりキャピュレット側の人間なんだけど、こいつがまたとんでもなく血の気の多いひとなんだ。   *以下、ティボルトをミヅキが、ロミオをユキエがやる。 ミヅキ   「やい、ロミオ、おれは貴様が大嫌いだ! だから精一杯上品に言わせてもらえばだ・・・卑怯未練な人間のくずだ、貴様は!」 ユキエ   あ、あの。ええと。 ミヅキ   「卑怯未練な人間のくずだ、貴様は!」 ユキエ   んないきなり・・・えと、「ティボルト、だが僕には君を愛さなくちゃならないわけがあるんだ。だから、本当ならカッと来るはずの君のその挨拶にも僕はもう、何も言わないんだ。ただ・・・。」 ミヅキ   「やい、若僧! そんなことで貴様から受けた数々の無礼、それが帳消しになると思ったら大間違いだ。さあ、こっちを向け、そして、抜け!」 ユキエ   はあ。 ミヅキ   ロミオはジュリエットを愛しているから、もう、ティボルトと戦うつもりは全然無い。けれど、それはティボルトにはわからない・・・どしたの。 ユキエ   いや、なんでもないけど。 ミヅキ   びっくりした? ユキエ   だって、凄い大声。 ミヅキ   へへ・・・面白いんだ、これって。 ユキエ   なにが。 ミヅキ   あのね、ティボルトってね、すっごい単細胞の人なんだ。すぐに剣を抜いちゃうし、頭に血が上るし。さすがに仲間内でも浮いちゃって、叔父さんのキャピュレット公に叱られたりするくらいで。 「我慢をするんだ。これ、おい、しろと言ったらするんだ。馬鹿な。この家の主人はワシか? それともお前か? 馬鹿馬鹿しい。どうしても我慢ができないと言うのか? この客人方の中で喧嘩沙汰を起こそうと言うのか? いや呆れたヤツだ。やれやれ、わしに逆らうとは。いいかげんにせい!」 ユキエ   その人、それでも貴族なわけ? ミヅキ   うん。でもね、とまんないの、ティボルトは。もう、馬鹿。馬鹿そのもの。いけいけティボルト、って感じ。 ユキエ   なんだか、嬉しそう。 ミヅキ   うん、そこがいいのよ。なんか・・・やってるとすーっとするわけ。声に出すとさ。 「さあ、こっちを向け、そして、抜け!」 彼はその性格が災いして、殺されちゃうんだけど、でも、・・・この人、ストレス少ないよなぁって、そう思う。 ユキエ   あ。石本君。 ミヅキ   へ? ユキエ   サッカー部の。 ミヅキ   はあ? ユキエ   石本君、暑いグランドをあんまり走りすぎたんだと思う。脳細胞が壊れちゃったんだよね。 ミヅキ   ああ、あの石本。でもそれが。 ユキエ   似てると思う。そのティボルトって人と。 ミヅキ   あのね。 ユキエ   彼ね、あだなが「アントレバァ」って言うの。 ミヅキ   「あんとればあ」? ユキエ   中学の英語の時間にね、先生に質問されたの。反対語。leftならright、hotならcold、みたいに。で、石本君に与えられた問題は、unnecessary。 ミヅキ   unnecessary・・・必要じゃない? ユキエ   そ。その反対語。でも石本君にはわかんなかった。で、見かねた友達が小さな声で教えてあげた。「unをとるんだよ。unを。unとれば」それで、彼はおっきな声で答えたの、「アントレバァ」! ミヅキ   馬鹿じゃん。 ユキエ   教室は大爆笑。でも石本君ちっとも気にならないみたいで・・・彼、あいかわらず楽しそうにグランド走ってる。 ミヅキ   いまごろはもう、脳細胞残ってないね。 ユキエ   多分ね。 ミヅキ   そういう生き方も・・・あっていいか。 ユキエ   うん。 ミヅキ   あたしら、まわりのこと気にしすぎてるかも。 ユキエ   そうかもね。 ミヅキ   もっと・・・もっと言いたいこと言ってたら。 ユキエ   ミヅキ? ミヅキ   後悔することばっか増えちゃうんだよね。 ユキエ   何の話? ミヅキ   なんであんとき、黙ってたんだろうって、このごろ思うんだ。なんで大声で「いやだ」って言わなかったんだろうって。そしたら案外、それで済んで・・・そしたら。 ユキエ   あの時は仕方なかったんじゃない。 ミヅキ   ティボルトなら、きっと言ったと思う。 ユキエ   それは馬鹿だから。 ミヅキ   でも、言ってたら・・・そしたら、こんなことになんなかった。結局、ほんとの馬鹿はどっちだったんだろ。 ユキエ   あのさ、ミヅキ。 ミヅキ   ああ、大丈夫だよ。落ち込んでるんじゃないの。なんかね、ちょっとわかってきたみたいな気がする。 ユキエ   そう・・・なんだ。 ミヅキ   うん。 ユキエ   そしたら、あの人にお礼をいわなきゃ。あの、ええと。 ミヅキ   真也さん。ちゃんと覚えてよ。 ユキエ   そう、それ。その人。そろそろ来るんじゃない。 ミヅキ   うん。そうだね。 ユキエ   普段は何やってる人? ミヅキ   フリーターみたい。三つくらい、バイト掛け持ちしてるって。 ユキエ   演劇一筋ってわけ? ミヅキ   そう。 ユキエ   だけど・・・ミヅキ。 ミヅキ   なに。 ユキエ   あれは、あの「杏子」っていうのは。 ミヅキ   あ、うん。 ユキエ   あれは・・・どうするの。 ミヅキ   どうするって。 ユキエ   わかってるでしょ。 ミヅキ   なにが。 ユキエ   なにがって。 ミヅキ   わかんないよ。 ユキエ   ミヅキ。 ミヅキ   そういうこと言う、あんたがわかんない。 ユキエ   それなら言うけど、ミヅキはジュリエットじゃないし、第一、あの人はロミオじゃないよ? ミヅキ   そ、そんなこと、当たり前じゃない。 ユキエ   ほんとにそう思ってる? ミヅキ   もちろん。 ユキエ   「男などというものには、まごころも正義もあったものではございません。嘘はいう、誓いは破る、心はねじ曲がっているのです」 ミヅキ   「よくもまあ! そんなことを言って、ばあやの舌こそ腐ってしまうがいい! ロミオ様に限ってそんなことがあるわけがないわ。」 ユキエ   「お身内を、ティボルト様を殺したあの男をお褒めになるんですか?」 ミヅキ   「だって、わたしには夫のロミオ様、それをわたしが悪く言っていいはずがないじゃない。」 ユキエ   ・・・ミヅキ。   *真也、登場。MDラジカセ持っていくこと。 ユキエ、さりげなく退場して調光室に移動。 真也    ごめん、ちょっと遅くなったかな。 ミヅキ   あ。こんにちは。 真也    寝坊しちゃって。さっき起きたんだ。寝たのが遅かったから。 ミヅキ   バイトですか。 真也    うん。仕事だから、しんどいのはあたりまえなんだけど。 ミヅキ   しんどい? 真也    マジでしんどい。コンビニって楽そうに見えるだろ。とんでもない。商品の搬入、保管、補充、伝票の点検、それから掃除、その合間にレジにも立って。 こないだなんか、幕の内弁当に醤油が付いてないって怒鳴り込んできたおばさんがいたよ。ドアップで叫び散らすもんだからツバは顔にかかるわ、香水のにおいで頭は痛くなるわ、もう、ホラーだね。それが夜中の三時だよ。おばさん、んなに食べるから太るんだよって。 ミヅキ   言ったんですか。 真也    いいえ、こらえました。平謝りに謝って、醤油も三つサービスして。そしたらおばさん割り箸も一〇本つかんで帰ってった。んったく、情けなくて涙がでそうになったさ。恥ずかしい話だけど。 ミヅキ   ・・・。 真也    いいこともあったよ。あそこでバイトしてたおかげで君に会えた。毎日、買いにきてたろ、昼御飯。 ミヅキ   ええ、まあ。でも、最初はびっくりしました。 真也    あ、そう? 僕もね、ここで会ったときにはちょっとびっくりしたよ。 ミヅキ   偶然、ですね。 真也    うん。偶然。ボーイ・ミーツ・ガール。 ミヅキ   え? 真也    いやさ、なんかロミオとジュリエットみたいじゃない。偶然舞踏会で出逢って、みたいな。 ミヅキ   あ、・・・そうですね。 真也    いやその・・・そ、そんでさ、バイトの話だけど。 ミヅキ   はい。 真也    ほんとにしんどかったのは、やっぱり、気持ちの方だった。 ミヅキ   気持ち? 真也    そ。・・・おれはいったい何やってんだこんなとこで? 俺の舞台はこんなとこじゃないだろう? 俺の夢ってのはこんなもんだったのか? ミヅキ   真也さん。 真也    (笑って)いつか、いつか、俺は栄光の舞台に立つんだ! あの新国立劇場の舞台に立って松たか子の隣でピンスポ浴びてやるんだ! その日のために、腕立て伏せ一万回やって平台を小指で持ち上げる筋力を身につけ、超音波で窓ガラスが割れるくらい発声練習をしまくり、脚本の理解力を増すために「良い子の世界名作全集」全五〇巻、マルクス全集全二〇巻、井上ひさし全集全一四〇巻を丸暗記する! けど、なんだ、今の俺は? 俺の、この暗い夜はいったいいつまで続くんだあああああ! ミヅキ   つまり、売れてないんですね。 真也    すらっと言うね。残酷なセリフ。だからヤなんだ、女子高生は。可愛い顔して人を切る。 ミヅキ   かわいくなんか、ないです。 真也    そうだよ、売れてないよ。売れてないどころか、まだ一度も舞台に立ったことがないってくらいでさ。駄目なのさ。 ミヅキ   そんなことないですよ。 真也    いいや、ここにいるのは人生の敗残者だ。さあ笑え。さあ殺せ。 ミヅキ   そんなことないです、って。 真也    おお、わかってくれるのか? 俺の苦しみ、俺の痛み・・・そうか、やっぱり君は俺のジュリエットだったんだな! ミヅキ   それ、死んだってヤです。 真也    ぐわあああ。 ミヅキ   あ、冗談、冗談ですって。 真也    (聞いてない)ぐわあああ。 ミヅキ   真也さん。 真也    ・・・まあ、昔の僕だったら、再起不能だっただろうけどね。 ミヅキ   真也さんが? 真也    それどーゆー意味。こうみえても結構繊細なんだから。 ミヅキ   繊細だった、でしょう。 真也    おかげさまで。けどね、だからって、悔しい気持ちがなくなるわけじゃない。 ミヅキ   え。 真也    同級生はみんな、学校通って、どんどん先に進んでいって、なのに自分だけ取り残されていて。こんなことやってて何になるんだろうか、もう全然駄目なんじゃないだろうか。僕は駄目だ駄目だ駄目だ・・・。前はいつもそんなこと考えてたな。 ミヅキ   それ、とってもよくわかる、その話。 真也    うーん、わかるってことは、それだけ不幸だってことだよ? ミヅキ   そういうことになる・・・かな。 真也    だよな。こんな時間にこんなとこにいるんだから・・・あ、気に障った? ミヅキ   いいえ。 真也    こんなこと、僕に言えた義理じゃないけど、やっぱり学校は行った方がいいよ。あとから後悔しないようにさ。 ミヅキ   それ、いつも言われてます。 真也    誰に? ミヅキ   友達に。変なヤツで。でも、いつもわたしのこと、心配してくれて。 真也    いいじゃない。大事にしないと・・・僕も、ずいぶん助けられてるから。 ミヅキ   杏子さん、ですね。 真也    うん。あいつもうるさいよ。厳しいことバシバシ言ってくるし。けど、ほんとに僕のことをわかってくれてると思う。 ミヅキ   いいですね、それ。 真也    欠点はアレだな、こっち(脚本を持って)方面に全然関心がないってことだな。二言目には、劇なんてやってるヤツは・・・。 真也・ミヅキ  (ハモって)社会の寄生虫。   *二人、笑う。 ミヅキ   ユキエがそう言うんです。 真也    友達? 会ってみたいな。 ミヅキ   え? 昨日もいましたよ、彼女。 真也    昨日? 昨日って君・・・あ、ああ。そうそう。彼女ね。 ミヅキ   さっきまでそこにいたんだけど。 真也    えと、ほら、あの。 ミヅキ   ユキエ? あれ。どこよ? 真也    えと。・・・ああ、杏子。遅いぞ。   *真也、杏子がいるつもりで演技。 ミヅキ   え? 真也    ちゃんと紹介してなかったよね。こっちが山本ミヅキさん。稽古を手伝ってくれてる。いいか、稽古だぞ。変に気を回すなよ。・・・うん。そういうの、ミヅキさんに失礼だからな。 で、これが杏子。オレと違って真面目に学校行って真面目に勉強してる。・・・皮肉じゃねえよ。裏をとるな裏を。 ミヅキ   は・・・初めまして。 真也    で、なんだ、遅れたのは? ・・・オレ? オレはさ、またバイトで・・・いいじゃないかよ。親のすねかじっていられるご身分じゃないんだよ。 ミヅキ   あ、あの。 真也    ねえ、やっぱさ、音があった方がいいと思わないか? 雰囲気、出るし。 ミヅキ   あ、そうですね。 真也    え? もう行くのか? ・・・わかった。わかったよ。うん。・・・うん。そうだよ。・・・じゃあな。 ミヅキ   あ、あの。 真也    ほっとけばいいって。 ミヅキ   あの。 真也    さあて、どこから行くかな。もうあんまり日がないし。 ミヅキ   日がないって。 真也    ちっちゃなホールだけどさ。やっと公演が決まったんだ。 ミヅキ   よかったですね。 真也    うん。リキはいってんだよ、だから。そだ、ミヅキさん、見に来ない? 招待券あるし。このくらいのお礼はさせてよ。 ミヅキ   そんな、買いますよ。いくらですか。   *真也、チケットらしきものを渡す。ただし、どっかアヤシイ紙切れ。 ミヅキ   あの、これ。 真也    「時計仕掛けのシェイクスピア」っていうんだ。 ミヅキ   そうですか・・・。 真也    どしたの? ミヅキ   い、いえ、なんでも。見に行きますね、絶対。 真也    うん。待ってるからね。 ミヅキ   おっきな花束持っていきます。 真也    食い物の方がいいかな。・・・んじゃ、と。   * 真也、MDラジカセのスイッチを入れる。音楽。 照明変化。夜。 照明操作者はユキエ役の生徒。(調光室)そして、操作したらすぐにステージ上手袖に移動する。 真也    「いいや、あれは朝を告げるヒバリだった。夜鳴き鳥なんかじゃない。ほら、ご覧、あの向こうの東の空、あの意地の悪い朝の空を。夜のともしびは燃え落ちて、もう浮かれ気分の朝が、霧深い山の頂でつま先立ちして待っている。 行って命を長らえるか、ぐずぐずすれば死があるばかりだ。」 ミヅキ   「いいえ。あれは朝の光なんかじゃありません。ええ、そう、あれは流れ星の光。今夜、あなたの足元を照らす明かりとなって、マンチュアまでの道を指し示しているんです。だから、いいんです、まだ往ってしまうには早すぎるんです。」 真也    「それなら、僕はもう捕まってもいい。殺されたっていい。君がそう思ってくれる、それで僕は満足だ。 あれも朝の瞳ではない、月の女神の、ただ青白い照り返しだということにしよう。僕らの頭上はるか、冴え渡る調べも、ヒバリではない、そういうことにしよう。 さあ、死よ、来るなら来い、僕は笑って迎えよう、それが姫の望みなら!」 ミヅキ   「いいえ、朝、朝なんです。さあ、行ってください。早く、早く! ヒバリです、あれは。ヒバリの声を美しいという人もあるけれど、とんでもない、あんなに憎らしい声はないわ。私達を切り裂いてゆく歌だもの。あなたを旅へと押しやる、意地の悪い歌! さぁ、行って。行ってください。・・・言う間に明るくなるわ。」 真也    「明るくなればなるほど、僕らの運命は暗くなる。」 ミヅキ   「では、窓よ、光を入れて。そしてあの人を、わたしの命を送り出すがいい。」 真也    「さようなら。もう一度キスを。・・・さようなら。」   * 真也、立ち去る。 真也役の生徒はすぐに調光室へ移動する。 ミヅキ、しばらく立ちつくすが、やがてベンチに戻る。ユキエ、登場。明かりに入ってきて、ナレーション。 ユキエ   誤ってティボルトを殺してしまったロミオは、ヴェローナの街を追放されます。命ばかりは助かりますが、ジュリエットに会えないのでは死んだも同じこと・・・誰かを好きになるというのは、こういうことなんでしょうか。わたしにはよくわかりませんけど。相手がどんなへんちくりんで、まわりがそろってやめろといって、だけどそれでも止まりはしない、好きになるのに理屈はなくて、人の恋路の邪魔するヤツは、馬に蹴られて死んじまえ。 お話では、このあと、ジュリエットには別の貴族との縁談の話が持ち上がります。今みたいに、娘が親の言いつけに反抗できるようになる、その五〇〇年も昔のお話ですから、どうしたってその人と結婚しなくちゃいけません。 でも、したくない。思いつめたジュリエットが選んだのは、ある薬を飲む、という方法。これは飲むと、 「たちまちそなたの血管の中を冷たいものが駆けめぐってな、脈はとまる、体温は下がる、呼吸は止まる、生きた兆しは少しもなくなる。仮死の状態が四二時間続くのだ」 ・・・という便利な薬。自分は死んだと思わせておいて、ほとぼりのさめたころこっそりロミオのいるマンチュアへ行こう、という・・・恋する女というのは、とんでもないことを考えます。 これはどうなんでしょうね。 だって、ジュリエットにもお父さんもいればお母さんもいます。きっと泣くでしょう、娘が死んだと思って。きっと悲しむでしょう、娘をもうその手で抱きしめることができないと知って。わたし的にはやりすぎ、だと思うんですけど。 でも。 卵を割らないとオムレツは作れない。火傷をしてみないと火の怖さはわからない。跳んでみないと、向こう岸にはたどりつけない。 そして、人間という生き物は、何か傷つけることなしには生きていけないものかも知れません。 そして。 ジュリエットのやったことは、とんでもない結果を招いてしまいます。正義が勝つ、なんてことはなくて・・・やっぱり雷は落ちてこないのです。   *ユキエ、ラジカセを止める。 照明、舞台全面を照らす。 照明操作者は真也役の生徒。(調光室) ここからユキエとミヅキ、同一空間に。 真也役の生徒、ステージ上手袖に移動。 ユキエ   ・・・ミヅキ。 ミヅキ   ああ。 ユキエ   はい。今日の差し入れ。 ミヅキ   あ、ありがと。 ユキエ   どう。・・・って、聞くのも馬鹿馬鹿しいけど。 ミヅキ   なによ。 ユキエ   ほら、作ってきたよ、クッキーも。いい出来でしょ。ほら、見て。 ミヅキ   うるさい。 ユキエ   なによ。なにおこってるの。・・・あれ、これ何。   *真也がおいていった「チケット」。 ミヅキ   それは・・・招待券。 ユキエ   は? ミヅキ   近日上演予定。演目は「時計仕掛けのシェイクスピア」。キャストは・・・たぶん、彼一人。 ユキエ   わたしには、これ、新聞のきれっぱしに見えるんだけど。 ミヅキ   新聞のきれっぱしだよ。 ユキエ   わからないけど? ミヅキ   わかんなくていい。 ユキエ   なんなの。 ミヅキ   ・・・ユキエ。 ユキエ   なに。 ミヅキ   あたしに勇気をちょうだい。 ユキエ   は? ミヅキ   ちょうだい。 ユキエ   どういう。 ミヅキ   いいから。あたしに勇気をちょうだい。親友でしょ。 ユキエ   そんなこと言ったって。 ミヅキ   要るのよ、あたしには。 ユキエ   あのね。 ミヅキ   今しかない気がするの。今なら、変われる気がする。今なら、こんなとこから抜け出せる気がする。こんどこそ。だから。 ユキエ   あの、だから何の話なのさ。 ミヅキ   ユキエ! ユキエ   怖いよ、ミヅキ。 ミヅキ   あ・・・ごめん。 ユキエ   ・・・ミヅキ? ミヅキ   あのね、ユキエ。 ユキエ   なに? ミヅキ   見てて。ちゃんと見ててね。 ユキエ   なにを? ミヅキ   がんばるから。 ユキエ   だから、何を? ミヅキ   私頑張るから。絶対、頑張ってみせるから。なにがどうなっても。 ユキエ   あの、全然わかんないけど・・・いいや、頑張れ、ミヅキ! ミヅキ   ・・・あんたのそういう無責任なとこ、好きだよ。 ユキエ   ありがと。 ミヅキ   どういたしまして。   * 真也、登場。隣に「杏子」がいる様子。 ユキエは退場して調光室へ移動。 真也    こんちは、ミヅキ。 ミヅキ   こんちは、真也。それから・・・杏子さん。 真也    ええと今日はここ・・・ロミオは彼女が死んでいると勘違いしてしまう。で、絶望した彼はその場で死のうとする。ここんとこ。 「この暗い夜の宮殿から、なにがあっても、オレは離れない。ここに、こうして、オレはいる。」 ミヅキ   はい。 真也    それじゃ、・・・うん? なんだまた? しょうがないな。・・・うん。わかったよ。わかった。そんとき、ジュースくらい買ってきてくれよ。喉かわくんだ、声出すと。・・・うん。はいはい。じゃあな。 ミヅキ   杏子さん! 真也    え? ミヅキ   行かないでください!   *ミヅキは誰もいない空間に向かって叫ぶ。 ミヅキ   今日は・・・今日だけは、見ていって下さい。面白いですよ。 真也    ミヅキ。 ミヅキ   そりゃ、ただの稽古です。けど、あたしたち・・・あたしも真也も一生懸命やってます。絶対面白いです。損はさせません。 真也    いやその、杏子は図書館で調べものしなくちゃなんなくて。 ミヅキ   お願いします。見ていって下さい! どうか、ぜひ。 真也    でもなあ。 ミヅキ   お願いします! 真也    うーん。 ミヅキ   杏子さん! 真也    ・・・そっか? わかった。 ミヅキ   真也? 真也    これはやっぱり、礼をいっとかないと。サンキュ。 ミヅキ   え? 真也    初めてだよ、杏子が稽古みるなんてさ。熱意の勝利だな。 ミヅキ   あ・・・えと、それじゃ、ここ。ここに坐って下さい。   *ミヅキ、ベンチを動かして誘導する。ただし、見えないから、真也の視線の動きを追って、カンでやっているだけ。 ミヅキ   大丈夫です。きれいだから。どうぞ。   *ミヅキと真也は軽く、衣装を羽織ってもいい。ラジカセで音楽。 ミヅキ、ベンチに向かって厳粛に。 ミヅキ   よろしくお願いします、杏子さん。   *ミヅキ、横になる(仮死状態のジュリエット)。この時、ポケットにナイフを持っていること。 照明、夜。ベンチ(杏子)にもサス。 照明操作者はユキエ役の生徒。(調光室) ラジカセで音楽。 ユキエ役の生徒はステージ上手袖に移動。 真也    「この暗い夜の宮殿から、なにがあっても、オレは離れない。ここに、こうして、オレはいる。ここはオレにとって永遠の安らぎの場、いまこそくだらない運命を、疲れ果てたこの身体から振り捨ててくれる。 目よ、よく見るがいい、この世の最後の景色だ。 腕よ、さあ、最後の抱擁だ。 そして、唇よ、いまこそ天下晴れての口づけを、死神の前で、永遠不滅の誓いをたてるのだ! さあ、来い、残酷な先達、さあ来い、情け知らずの運命。 そして、貴様、命知らずの水先案内人よ、波に疲れ、海に疲れた貴様の舟を、さあ、すぐにも岩角にぶつけるがいい! さて、わが愛する君のために・・・(薬を飲む)ああ、なんて正直な薬屋だ。お前の店はさぞ繁盛するだろう・・・さあ、こう・・・口づけを・・・そして、オレは死ぬ。」   *真也、倒れる。ややあって、起きあがるミヅキ。 ミヅキ   「あの方はどこ? わたしがどこにいるか、それはよく覚えています。ここがそうなのでしょう? でも、ロミオは? わたしのロミオ様はどこにいらっしゃいますの?」   *ミヅキ、ロミオを発見、息をのむ。 ミヅキ   「いいえ、いいえ! ・・・神父様こそ、どうぞお戻りになって。わたしは嫌でございます。 なんだろう、これは。盃が、ロミオ様の手にしっかり握られているけれど? わかった、毒よ、毒を飲んで、思わぬ最後を遂げたのよ。 それにしても情けない方、すっかり全部飲み干してしまって・・・わたしにはただの一滴も残さない、そういうおつもりかしら。 そうだ、あなたの唇に・・・まだ唇には毒が残っているかも知れない。 今のわたしには毒はかえって命の妙薬、死んでこの方のお供が出来るもの。」   *口づけ・・・しようとするがすぐに顔を上げる。ベンチを見る。 ミヅキ   「ああ、あれは誰? ぐずぐずしてはいられない。ああ! 嬉しいこのナイフ!」   *ミヅキ、ナイフを取り出す。 ミヅキ   「この胸、これがお前の鞘よ。さあ、このままここに・・・そして」   *ためらうミヅキ。 ミヅキ   「この胸、これがお前の鞘よ。さあ、このままここに・・・そして」   *ふたたびためらうミヅキ。真也、顔を上げて。 真也    「そしてわたしを死なせておくれ。」だよ。 ミヅキ   「そして・・・あの人を殺しておくれ!」   *ミヅキ、ベンチに走り寄って、「杏子」にナイフを突き刺す。何度も。 真也    ミヅキ! ミヅキ   「さあ、こっちを向け、そして、抜け!」 真也    なにするんだ! ミヅキ   もう遅いわ! もう死んだ! 死んだはずよ! 真也    やめろ! 杏子! 杏子! ミヅキ   ほら! どう! これで! とどめよ! 真也    人殺し! 君は、君は! ミヅキ   そうよ、殺したのよ。このナイフで・・・ナイフも、この両手も血だらけ。杏子さんの血よ! どう、見て! 見るのよ、この馬鹿! ほら! 真也! 真也    ・・・ミヅキ。 ミヅキ   ほら! ・・・赤くないでしょ? 真也    ・・・うん。 ミヅキ   じゃ、こんどはこっち見て。ここには何がある? 死体? それともスポーツ新聞? 真也    ・・・新聞。「フランクリンが大阪ドームに・・・」 ミヅキ   良かった。真也、良かった。あなたは、帰ってきたのよ。 真也    じゃあ・・・じゃあ、杏子は。いままでずっと。 ミヅキ   それは夢・・・悪い夢だったの。あたしには一度も見えなかったもの。 真也    じゃあ・・・じゃあ・・・。 ミヅキ   真也、あなたにもう夢はいらないわ。あなたには夢なんかもう必要ない。 真也    杏子は。 ミヅキ   杏子も必要ないの。わたしがいるから。わたしがあなたを支えてあげる。劇の稽古もできるし、料理だって掃除だってできる。全部あたしがやるわ。だからあなたはちっとも心配しなくていいの。悲しむことなんて何にもないのよ。 真也    杏子は・・・夢だったのか? ミヅキ   そう。 真也    オレの・・・オレが作った夢? ミヅキ   そう、全部悪い夢だったの。だから。   *このへんでユキエ、舞台に戻ってきてね。 真也    もういい。わかった。 ミヅキ   じゃ、続けましょう。さっきはセリフ、変えちゃってごめん。もう一度・・・「あの方はどこ? わたしがどこにいるか、それはよく覚えています。ここがそうなのでしょう? でも」   *真也、ラジカセを止める。そして荷物をまとめ始める。 ミヅキ   真也・・・何やってるの? 真也    帰るんだよ。 ミヅキ   帰るってどうして。稽古は。 真也    稽古は・・・もうやめだ。 ミヅキ   やめ? 真也    夢が・・・夢がなくなっちまったから。 ミヅキ   どうして? あれはもう。 真也    どいてくれ。 ミヅキ   真也、わかんない、どうしてよ? なんかいけないことした? ねぇ、真也。・・・あ、ユキエ、ねえ、どうして、せっかく夢から醒めて・・・現実に帰ってきたのに、どうして。 ユキエ   ええと、やめた方がいいと思う。 ミヅキ   あんたからも言ってよ。もう大丈夫、大丈夫なんだって、ねえ、ユキエ。 ユキエ   雷は落ちないんだよ、ミヅキ。 ミヅキ   わかんないよ!   *真也、退場する直前に。 真也    ミヅキ・・・山本さん。 ミヅキ   真也。 真也    ありがとう。僕の目を覚ましてくれて。 ミヅキ   そんな。 真也   そうだ、一つだけ。贈り物をさせてくれ。 ミヅキ   なに? 真也    ユキエさんって誰だい? 僕には一度も見えなかったんだ。   *真也退場。 ミヅキ   え? それって。   *ミヅキ、ユキエを振り返る。ユキエ、困ったように笑い、ベンチに腰を下ろす。「杏子」の位置。照明をきれいに使いたいところ。 ユキエ   だから、駄目だっていったのに。 ミヅキ   ユキエ。 ユキエ   双方相打ち、引き分け。ってところかな。まあ、いい勝負だったと思う。 ミヅキ   ユキエ。 ユキエ   あ。そうだ。なんだったら刺してみる、それで? 大丈夫、血なんかつかないから。・・・ほら、もう実験済み。 ミヅキ   ユキエ。 ユキエ   あたしにもわからないの。あたしらがなんなのか。難しいことはよくわかんないし。テレビとか新聞とかにはいろいろ・・・ミヅキ、バラエティとアニメだけ、なんて駄目だよ。どんどん馬鹿になるから。 ミヅキ   ユキエ。 ユキエ   夢なの。朝になったら消えてしまう、ただの夢。そして、夢が終わったら、現実が始まる。・・・ほら、ヒバリが鳴いてるよ。 ミヅキ   ユキエ。 ユキエ   そろそろ潮時。私的には、ミヅキと一緒にいるの、楽しかったよ。 ミヅキ   ユキエ。 ユキエ   じゃ行くね、あたしも。 ミヅキ   ほんとに? ユキエ   ほんとにほんと。・・・そうだ。 ミヅキ   なに? ユキエ   「頑張れ、ミヅキ!」 ミヅキ   ・・・ユキエ。   *ユキエ、退場。調光室へ。 ミヅキ、本を手に取る。 ミヅキ   「頑張れ」・・・か。   *以下、一人芝居。 ミヅキ   「ああ、ロミオ様、ロミオ様! あなたはなぜロミオ様なの? あなたの名前をお捨て下さいませ! それともそれがいやとおっしゃるなら、せめて私を愛していると、そう誓って下さいませ。そうすれば私も今日限りキャピュレットの名前を捨ててみせますのに。 憎いのはあなたのその、お名前だけ。モンタギュー、なんでしょう、それが? 手でもない、足でもない、顔でもない、人の身体のどこでもない。バラと呼んでいるあの花は、名前がどう変わっても、匂いまで変わったりはしないわ。ロミオ様、どうか名前をお捨てになって。そして名前の代わりに、わたしのすべてをお取り下さい。 え? 誰です、あなたは? 夜の闇にまぎれて、人の秘密を盗み聞くのは? その言葉、その響き・・・耳が覚えております。ロミオ様、モンタギューの、ではありませんか? どうしてここへ・・・そしてなぜいらしたの? 塀は高くて登るのは大変、それにあなたのお立場を考えれば、もし家の者に見つかれば・・・死んだも同然ですのに? でも見つかれば殺されます。 どうあってもわたしはいや。見つからないようにしてください。」   *真也、登場。 音楽。音響装置から。操作者はユキエ役の生徒(調光室)。 真也    「やさしいあなたのまなざし、それさえあれば、僕は不死身なのです。」 ミヅキ   ・・・「いったい誰の手引きでここへ?」 真也    「恋の手引きです。尋ねる心を促したのも恋なら、知恵を貸したのも恋。あなたという財宝のためならば、どこへなりと、僕は参りましょう。」 ミヅキ   「このとおり、夜という仮面が隠してくれています、そうでなければ私の顔は真っ赤に染まっているはず・・・」 ・・・ねえ、これも夢なのかな? 真也    きみこそ、僕の夢じゃないか? ミヅキ   私は違うわ・・・たぶん。 真也    じゃあ僕も・・・たぶんね。   *音楽高まる。緞帳降りる。                           ・・・幕・・・ 参考文献      シェイクスピア「ロミオとジュリエット」