『二人でお茶を 〜ノストラダムスを待ちながら』            原案・武生高校定時制演劇部 脚色・玉村徹 -------------------------------------------------------------------------------- 【キャスト】  女    (自称宇宙人)  黒石アイ (地球人・高校生) -------------------------------------------------------------------------------- *大道具は「屋根」。この上で劇がほとんど進行するはず。 照明は暗く。トップサスで屋根の上を照らす。ホリは青で夜を表す。星球。 アイ、屋根に坐っている。パジャマ姿。かたわらにバスケットや傘が置いてある。 音楽はTHE BOOM「中央線」。   君の家の方に   流れ星が落ちた   僕は歯磨きやめて   電車に飛び乗る   今頃君は   流れ星砕いて   湯舟に浮かべて 僕を待ってる   走り出せ 中央線   夜を越え 僕を乗せて *音楽弱まる。 アイ それは私が屋根の上に住んでいたころの話。馬鹿と煙は高いところに昇る、そんな言葉を知らなかったわけじゃない。知らなかったわけじゃなくて、私は煙なんかじゃないから、きっと馬鹿なんだろうと思っていた。それでかまわないと思っていた。人がどう思おうと、私には関係ない、そう思っていた。けれどこの世界は、馬鹿には暮らしにくく出来ている。馬鹿だとやっぱり肩身が狭い、そんなことも考えた。そうすると私は煙にならなくちゃいけないの? 煙になるにはどうしたらいいの。このからだがそのまま空気に溶けて、透明になって誰の目にも見つからなくなる、そんなふうになるには? ・・・それは私がまだ屋根の上に住んでいたころの話。一〇〇円ライターを   手のひらの上でいじくりまわして、それで何に火を付けたらいいのかわからないでいたころの話。そして、その夜、彼女はやってきた。 *パトカーのサイレンの音。ドップラー効果で遠ざかる。やがて静寂が戻り、アイ、魔法瓶からコップにお茶を注ぐ。 屋根の上に、もう一人、人影が現れる。女である。へんてこなヘアスタイル。背中にはリュック。アイのうしろにこっそり忍び寄る。 女  ああ、お茶が飲みたいなぁ。 アイ ・・・。 女  久しぶりに汗アイちゃったのよね。ほんと喉乾いた。ああ、もう、死にそう。 アイ ・・・。 女  ああもう死にそう。 アイ ・・・。 女  ああ、もう、死にそう。 アイ ・・・(お茶を差し出す)。 女  え、そんな、もらえないわよ。いくらなんでも。 アイ ・・・。 女  見ず知らずの人からいきなりお茶なんか。あたし、そんな図々しい人間じゃないのよ。 アイ ・・・(お茶をしまいかける)。 女  き、君、名前は? アイ ? 女  名前よ。あるんでしょ、名前? アイ アイ・・・黒石アイ。 女  あら、いい名前ね。黒石アイ・・・ね、アイちゃんって呼んでいい? アイ ・・・。 女  よろしく、アイちゃん。・・・せっかくだからお茶いただくわ。 アイ ? 女  だってもう見ず知らず、じゃないでしょ、アイちゃん。・・・「ああもう死にそう。」 アイ ・・・。 女  「ああもう死にそう。」 *アイ、コップを渡す。 女  おいしいわね。 アイ ・・・。 女  いいとこね、ここ。眺めもいいし、誰かに見つかる心配もない・・・不思議よね、人間って案外上を見上げるってコトをしないのよね。一休みするのにはちょうどいい・・・第一、星に近いのが気に入ったわ。 アイ ・・・。 女  ・・・ついでに無駄口たたかないところがいいわね。・・・あれ? なにそれ? アイ ・・・。 女  隠すな隠すな・・・なに? おにぎり?わあ、たくさん・・・しかも全部きれいに三角に・・・おいしそうねぇ。わたしね、結構ご飯系好きなのよね。クッキーとかケーキとか、ああいうのが好きって人とは合わないの。なんか、アイちゃんに親近感っていうの? 感じちゃうなぁ。 アイ (差し出す)・・・。 女  やだ、なんか要求したみたいね? そんなつもりはないのよ? アイ ・・・。 女  ま、そんなに言うんなら・・・うん、おいしい。あ、おかかだ。 アイ ・・・。 女  もひとついい? あ、昆布。・・・アイちゃんって、お嫁さんにしたい女の子ナンバーワン、よね。 アイ ・・・。 女  ええと。 *アイ、黙って女にお茶をつぐ。 女  あ、ありがと。・・・取っつきやすい性格がまた素敵。・・・ね、こういったらアレだけど、君、友達少ないほうでしょ。 アイ ・・・。 女  やだ、怒った? アイ ・・・。 女  図星だった? でも、気にしなくていいわよ。あんなもの、おおけりゃいいってもんじゃないし。畑のジャガイモじゃないんだからさ。あたしなんか、自慢じゃないけど一人もいないわよ。 アイ (明後日の方を向いて)なんなんですか。 女  え? アイ なんなんですか、あなたは。 女  あら、しゃべれるんじゃない、ちゃんと。 アイ な・・・なんなんです、いったい。なんでそんなこと。 女  でも、欲を言えばまっすぐ相手の顔を見ていって欲しいわね。 アイ ・・・。 女  それで? どうしたの。続きは? アイ いいです。 女  なにが。 アイ もういいです。 女  だからなにが。 アイ なんでもないです、もう。 女  だからなにがなんでもないの。 アイ ・・・。 女  どうしたの、アイちゃん。 アイ ・・・あなたは。 女  ふんふん。何でも聞いて。 アイ あなたはいったいなんなんです。 女  それは秘密。 アイ ・・・! 女  ああもう、すぐマジになる・・・かわいいわねぇ。わかった、わかりました。真面目に答えるわよ。お茶もおにぎりももらったしね。一宿一飯の恩義ってやつ? あ、わかる?一宿一飯って? アイ わかります。 女  そ。よかった。・・・でもね、その質問ってば、とっても難しいのよね。 アイ ? 女  じゃアイちゃんはどう、君は、なんなの? アイ え? 女  君って人間はなに? どういう生き物?説明できる? アイ それは。 女  ほら、深くなっちゃったでしょ。第一、君、ここで何してるわけ? アイ 私は。 女  かなりあやしいわよ? 夜中、こんなとこで・・・しかも食事まで用意してる準備の良さ。ただ星が好きってだけで、ご近所のみなさんは納得してくれるかしらね? ・・・ね、君って何? アイ それは、その。 女  ま、でもさ。答えてあげるよ、今回は。でも、驚かないでね。これがちょっと凄い話なのよ。・・・あ、お茶、もうちょっともらえる? *アイ、つぐ。 女  これも、君が入れたの? へえ、マメねぇ。 あー! もしかして、君のおかあさんは。 アイ 違います。ちゃんと下の部屋で寝てます。 女  なんだ(ゆっくり飲む)。 ・・・じゃ、あれ、ものすごいズボラなかーちゃんで、なんでウチが家事なんかせんならんねん、みたいなことゆうていっつもテレビの前でドデンって横になってポテトチップスつまんでて、頭の中身は山田花子、身体はコニシキ、みたいな? アイ かあさんは・・・母は普通です。だと思います。 女  ふうん? アイ それより。 女  あ、そうそう。実はね。あたしはね。 アイ はい。 女  驚いちゃだめよ。・・・あたしはね、宇宙人なのよ! アイ ・・・。 女  ・・・ちょっと聞いてる? 宇宙人、って言ったの。・・・何黙ってんのよ。 アイ はあ。 女  あのね、ここはもっと激しいリアクションをするところよ。「ええっ!」とか、「ほ、ほんとですか?」とか「オーマイガッ!」とか。 アイ じゃ、「ええ」。 女  「じゃ」ってなによ、「じゃ」って。 アイ だって。 女  素直に信じられないわけ? アイ 素直に信じるほうが変です。 女   ああもう、しょうがないわね。あそこ、見えるでしょ。あの、三つ並んで光ってる星・・・その真ん中の。 アイ あれ・・・アルデバラン? 女  よく知ってるわね。アイちゃんってば、やっぱり天文学者志望なわけ? アイ 小さいころ、近所に詳しい人がいて。・・・宇宙とか星とかも、そういうのはその人に教わったんです。 女  ふうん、それで。 アイ それでって、その人が引っ越しちゃって、それっきりですけど。 女  ふうん? あたしの宇宙人としてのカンによると、「その人」ってのは男の子じゃない? アイ え。 女  しかも、アイちゃんよりもちょっと年上で、影のある二枚目。 アイ あの。 女  で、幼いアイちゃんとしては、彼を見つめているだけで精一杯だった。それははじめての恋であった。・・・どう、図星でしょ? アイ ちがいます。 女  またまた。 アイ だって、その人は女の人でした。 女  ・・・えへ。 アイ 今考えてることも、絶対ちがいます。 女  ・・・やぁだ。 アイ その人は、私がとっても尊敬してた人で・・・いろんな本とか読んでて、すごく頭がよくて、あこがれの人だったんです。 女  だから、××なんでしょ? アイ そうじゃなくて。 *沈黙。 女  ・・・ちょっと、怒った? アイ ・・・。 女  とにかくね、あそこがあたしの星。あたしの故郷なのよ。アルデバラン星。だからあたしはアルデバラン星人ってことになるわね、よろしく、地球人。 アイ (投げやりに)はるばるようこそ、地球へ。 女  ・・・なによ。 アイ なんです。 女  今のはなによ、今のは。 アイ なにって。 女  ムカつくわね。君、あたしの言うこと、信じてないでしょ? アイ そんなこと。 女  どうなの、あたしのこと、嘘つきだと思ってるわけ? アイ 大声出さないで下さい。 女  ああもう、こんな屈辱ってないわ、地球人なんかに馬鹿にされるなんて! アイ 怒鳴るの、やめてくださいって。 女  この声は地声よ! アイ そうじゃなくて・・・家族が起きちゃう。 女  あ。・・・(ささやくように)あたしの言ったこと、信じてないでしょー? アイ だいたいそんなの、すぐ信じる方が変ですって。 女  (どんどん小さい声になる)こんな侮辱は初めてよ! アイ あの。 女  (もう聞こえないくらい小さく、口パクで、身振りだけは大きく)そういうこと言うんなら、これを見てごらん! アイ 普通でいいです、もう。 女  そういうこと言うんなら、これを見てごらん! *ポケットから携帯電話を出してアイに突きつける。唖然とするアイ。 女  ・・・いいたいことはわかるわよ? アイ えっと。 女  言わなくていい。言わなくて。・・・でも、そこが地球とあたしたちの星と   の科学技術の差ってやつなのよ。 アイ でも、どう見たって。 女  言うな。これはね、アルデバランのハイテクの結晶なんだから。 アイ でも、デジタルツーカーってここに。 女  ああもう! そういうふうに見えるだけなの。そういうふうに作ったのよ。あたりまえじゃない。ちょっと見ただけで「おお! これは地球のテクノロジーを越えているぞ」みたいにバレバレの格好したもの、持ち歩けるわけないじゃない。バッカじゃないの? アイ カールおじさんのストラップまで・・・。 女  これはね、超空間通信機なの。あたしの星、アルデバランとの。なんと留守番機能付だから、眠っててもメッセージ聞き逃す心配がないのよ。どう、凄いでしょ? アイ はあ。 女  まだわかんないの? しょうがないわね。じゃあこれよ! *女、まんじゅうを取り出す。 女  ・・・いいたいことはわかるわよ。 アイ えっと。 女  言わなくていい。言わなくて。やっぱりお饅頭みたいに見えるでしょ? でもそこが。 アイ そこが地球とアルデバランの科学の差なんですね。 女  そうよ。そのとおりよ。わかってきたじゃない。 アイ で、これ、なんなんですか。 女  「マイクロ洗脳マシンこしあんマークツー」なの。 アイ はあ? 女  「マイクロ洗脳マシンこしあんマークツー」よ。 アイ はあ?! 女  だ、だから「マイクロ洗脳マシン・・・」。 アイ あのねぇ・・・。 女  え、えとね、説明するとね、マイクロチップが、このこしあんのところにたっぷり仕込んであって、胃から吸収されて大脳に到達したならば、その人間をあたしたちの奴隷に洗脳してしまうという恐るべきマシンのマークツーなのよ。 アイ そのまんまですね。 女  まだ言うかな。じゃあ、これ(熊のぬいぐるみ)よ、「絶対無敵完全消滅超強力めっちゃ危ない爆弾」っていって、これは。 アイ 誰なんです、そういう変なネーミング考えるのは。 女  これはね、この鼻のところを押すともー大変、一秒きっかりで半径一〇〇〇キロ以内の物はどんなものでも完全に消滅しちゃうっていう。 アイ それじゃ押した人も消滅しちゃうじゃないですか。 女  そうよ。だからめっちゃ危ないのよ。絶対に押しちゃ駄目よ。 アイ なんなんです、それ。 女  なによアイちゃんてば押したいわけ?なに考えてるの? みんな死んじゃうのよ? 死ぬってコト、わかる? やだ、地球人って野蛮。 アイ 野蛮とかそういうんじゃなくて。 女  さあ、これで、納得、よね? アイ なにが? 女  もう。あたしが宇宙人だってコトよ。 アイ はあ。 女  納得したわよね? アイ ・・・オーマイガッ。 女  よし。・・・おかわりちょうだい。喉かわいた。 アイ はい。 女  (飲みながら)あたしは秘密工作員。UFOに乗って密かに地球に潜入し・・・こっそり洗脳マシンを、和菓子屋の店先においてくることが使命・・・ああ、なんて恐ろしい話かしら。 アイ どこが。 女  ・・・でも、地球人も甘くないわね。おねーさん、ちみっと油断しちゃって。にしても、あれよね、あのサイレンのうるさいったらないわね。 アイ ああ、それ、さっきの。 女  アイちゃんはどう、あのサイレン? あれ、どう思う? アイ どうって・・・。 女  あんなマヌケで下品でやかましい音ってある? ったく、程度がわかるってもんよね。だから猿はヤなのよ、猿は。 アイ そういうもんですか。 女  ・・・なによ、その態度。 アイ な、なんですか。 女  そんなのってある? 君って、それでも地球人なの? アイ はあ? 女  いい? あたしは宇宙人なのよ? アイ はあ。 女  それも地球征服に来た、恐ろしい宇宙人なのよ? アイ ええまあ。 女  ええまあ、じゃないわよ。君、地球を守ろうって気持ちはないの? 宇宙人をやっけようって思わないの? アイ そんなこと、いきなりいわれたって。 女  そうなの? 地球の若者って、そんなふうにみんな醒めてるわけ? 感動とか驚きとか、そういうのはないわけ? アイ そんなことはないとおもいますけど。 女  そんなんじゃ駄目よ。つまんないわ。やる気なくなっちゃうわ。 アイ ・・・。 女  ・・・ね、アイちゃん。 アイ はい? 女  だいたい君はここで何やってるの? さっきも聞いたけど。 アイ ・・・言っても仕方がないことです。 女  そんなこと言ってみないとわかんないじゃない。 *沈黙。 女  アイちゃん? アイ ・・・待ってるんです。 女  待ってる? なにを? アイ 笑いませんか? 女  笑わないわよ。 アイ 空から・・・空から、恐怖の大王が降りてくるのを。 女  ・・・えへ? アイ 知らないんですか? 女  なにそれ? ダイオウ? アイ 一九九九年七の月・・・これもわかんない? まさかほんとに宇宙人なんですか? 女  さっきからそう言ってるじゃないの。 アイ じゃノストラダムスは? 女  メロンの品種のこと? アイ メロン? それ、わかんないけど。 女  いい。これは忘れて。 アイ へ? 女  いいから忘れて。つまんなかった、これは。 アイ なんなんです? 女  忘れてよ。 アイ 気になるじゃないですか。 女  もういいの。 アイ そんなこと言わないで。なんなんですか。 女  その・・・アムスメロン。 アイ はあ? 女  えと、だから、アムスメロン。 アイ はあー? 女  だから忘れてっていったじゃない! アイ ノストラダムスとアムスメロンって・・・ぜんっぜん似てないじゃないですか! 女  もういいじゃないの! あたしが悪かったわよ! アイ ムス、しかあってない・・・無理矢理ですね。それ、いつの時代のギャグなんです。江戸時代ですか。 女  ああ、ごめんね、悪かったわね。どうせあたし、宇宙人だし。 アイ それにしたって、いくらなんでも。 女  だっておいしかったのよ! こないだAコープで安売りしてて、二個で四八〇円だったのよ! アイ どうして宇宙人がAコープなんか行くんです。 女  なに、宇宙人がメロン食べちゃいけないわけ? 禁止されてるわけ? そういう法律でもあるわけ? アイ だって。 女  差別する気ね。宇宙人なんか人並みに扱えないって、そう言うのね。 アイ 宇宙人は人じゃないでしょう。 女  ああもう! とにかく、その、ノストラなんとかがどうしたっていうのよ! アイ あの、ええと・・・ほんとに知らないんですか? 女  (怒りの顔を向ける)・・・。 アイ  あ、はいはい。・・・ノストラダムスっていうのは昔の予言者で、その予言の一つにこんなのがあるんです。    「一九九九年七の月、     空より来るだろう、恐怖の大王が。     アンゴルモアの大王はよみがえり、     戦争の神は幸福に地上を支配するだ    ろう。」 ・・・結構有名ですよ、これ。 女  なによ、その「恐怖の大王」って。 アイ そのへんはよくわかんないんです。もともとはっきりしたことは言ってないから、いろんな解釈があるみたいで。 でも、怖そうじゃないですか。「恐怖の大王」が空からやってくる、なんて。・・・ていうか、わかんないからよけいにこわい、みたいな。とてつもないことがおきちゃうんじゃないか、みたいな。 核ミサイルを表しているんだ、って人もいます。第三次世界大戦が起きて、それで核兵器が使われて、地球は放射能に汚染されて人類は滅んでしまう・・・そんな感じです。 それから、これなんかは映画とかにもなったんですけど、「大王」とは宇宙にただよっている小惑星のことで、その軌道が地球に衝突するようになってて・・・ぶつかるのが一九九九年の七月だ、っていう。小惑星っていっても、ものすごいスピードで動いているから、地球に落ちるときは、ハンパじゃない被害を与えるらしくて・・・ほら、恐竜が突然絶滅したのも、この小惑星の落下が原因じゃなかったか、なんて説があるじゃないですか。 それから・・・まあ、きりがないくらいいろんな解釈があったみたいで。悪魔が出現するんだとか、エイズよりもっと凄い伝染病が蔓延するとか、原子力電池をつんだ人工衛星が落下して来るんだとか、宇宙人が侵略して来るんだ、とか・・・。 とにかくどういうことがおこるのか、誰にもわからないんです。 でも、もし、ほんとうにそんなものが・・・恐怖の大王が空から降りてくるものなら、私は・・・私はそれを自分の目で見てやりたい・・・そして、そのあとどんなふうにこの世界が変わっていくのか、見てみたい・・・そんなふうに思って。 ・・・あの、もしもし? *女、居眠りをしている。 女  ・・・んが? アイ 聞いてます? 女  あ、あは。おねーさん、ちみっと寝てしまってたあるよ。 アイ あのね。 女  感想聞きたい? アイ はあ。 女  ばっかみたい。 アイ そんな・・・みもふたもない。 女  もー、笑うね。力いっぱいドカドカ笑う。そんなマジんなってノストラメロンのいーかげんな予言を・・・。 アイ ノストラダムス。 女  ああそう、ノストラダムスね、ノストラダムス。わかったわよ。 とにかく、そんなの真に受けてこんなとこで空見上げてたわけ? ばっかじゃないの、アイちゃん。 アイ そう・・・ですか。 女  そうよ。そんな大王なんてあり得ないわ。非現実的よ。非科学的よ。 アイ その言葉、あなたが言うと変ですよ。 女  どういう意味よ? アイ いえ、別に。 女  なによ。・・・それで、降ってきたわけ、そのなんとか大王。 アイ それは、まだ。期待してたんですけど。 女  もう九月じゃない。インチキよ。インチキに決まってる。だから、アイちゃんも安心してもう寝たら? アイ ・・・そうですよねぇ。 女  夢なんか見てないで、若いうちは頑張って勉強しないと・・・そだ、あたしがタメになるお話をしてあげる。したら、君にも「有効な時間の使い方」ってのがわかるようになるでしょう。いい? アイ でも私は・・・。 女  いい? アイ は、はい。 女  ええとね・・・地球を遠く離れて何百光年、一つの星がありました。その星には地球人よりもずっと賢い人々が暮らしていました。しかも頭がいいだけではありません。顔もスタイルも良くて、男の人はみんな高橋英樹みたいで、女の人はみんな由美かおるそっくりでした。 アイ なんか、いきなり話の先が見えたような気がするんですけど。 女  でも、そんな星にも、一つだけ欠点がありました。その星には、空がなかったのです。 アイ 空が? 女  そう。星全体が一つの大きな建物で・・・海も山もなくって、全部ビルなわけ。もちろん地球のビルなんかとは桁が違うのよ、何千階、何万階も積み重なってるし、廊下は何百キロ、何千キロもある・・・だから上を向いても下を向いても、右を見ても左を見ても、どこまでもどこまでも部屋が続いてるの。 アイ ・・・そんなんで生きていけるんですか、アルデバランの人たちは。 女  自殺なんかもメチャ多いわ。でも、それはまあ、仕方のないことだから。 アイ 自殺が? 女  強い人間なら死ぬコトなんて考えない。逆に言えば、自殺するような人間は弱い人間ってこと・・・そういう人にはさっさと退場してもらった方がいいじゃない。 アイ ・・・。 女  反対にね、優秀な人間・・・すぐれた能力を示した人間には当然ご褒美があるわけ。それはね、上の階に行くこと。 毎週、試験があるの。それでいい点数を取れば、一つ上の階の部屋に移れる。もちろん、上の階にすすむほど幸せになれる。より多くのお金、より多くの権利、より多くの幸福。だからみんな一生懸命努力する。競争も激しいわ。 あたしは、自分で言うのもなんだけど、頑張ったのよ。ちっちゃな子供のころからずうっと。おかげでずいぶん上の階に住むことが出来たわ。あとは・・・。 ・・・あの、もしもし? アイ 寝てません。 女  そう? アイ あなたじゃあるまいし。 女  ・・・棘があるわね、その言い方。 アイ そうですか? 女  どうしたのよ? アイ だって・・・そんな星、ちっとも幸せと思えないから。私なら絶対イヤです。 女  そんなことないわよ! それは違う。・・・彼とおんなじこというのね。 アイ 誰です、彼って? 女  彼は・・・他の人に追い越されて、いまじゃ何千階も下の部屋で惨めな生活してる。 アイ それから・・・会ったことは? 女  ないわよ。 アイ じゃ、本人は幸せに暮らしてるのかも。 女  そんなわけないじゃない。 アイ でも。 女  あたしは違うわよ。頑張ってるもの。だから・・・あともう少しなの。もう少しであたしはビルの一番てっぺんに行けるの。そうしたら。 アイ ・・・そうしたら? 女  空を見ることができるはずなの。 アイ 空・・・ですか。 *しばらく沈黙。 アイ その彼って・・・。 女  え? なに? アイ あ、いいえ、なんでもありません。 女  なによ、言いかけてやめないでよ。 アイ でもやっぱり。 女  なによ。 アイ あの・・・その彼って、やっぱり、恋人かなんか? 女  えー? 違うわよ。ただの知り合い。どうしてあんなの・・・だいたいあたしは面食いなのよ。 アイ 面食いって、みんな高橋英樹なんでしょ。 女  うるさいわね。いろいろあんのよ、子供にはわかんないの。・・・まあ、でも、どっちかっていうと、嫌いじゃなかったかな。あれがあたしの青春だったのかもね。学校の帰り、喫茶店で何時間もしゃべったわ。 アイ あの、学校とか喫茶店とかって。 女  校則なんかくそくらえ! なんていきがってた頃だったのよ。子供だったのね。髪の毛染めてみたり・・・バイクの後ろに乗せてもらって、目をつぶると聞こえてくるのはエンジンの響き、風を切る音、彼の心臓の鼓動・・・そして気が付くともうそこは海なのね。 アイ 海って、あの、ちょっと。 女  砂浜! 太陽! 青空! あたし達は手をつなぎ、微笑みながら渚を走ったわ! アイ はあ、そうですか。 女  幸せなとき、幸せなふたり・・・一日が終わって、あたしたちは肩を寄せ合って夕日を見つめていた。あたりはだんだん暗くなってきてて、BGMは打ち寄せる波の音だけ・・・とくりゃ、次はアレしかねぇよなぁ? アイ もー、好きにして下さい。 女  彼はあたしの目をのぞき込んでいったわ、 「なあ、なんっか、っで、っと、オレ、ってが、ってよお。」 アイ 頭悪そうですね、その人。 女  翻訳するとね、 「なあ、学校ってなんかつまんねぇじゃん。おれ、んなことよりもっとイカしたコトやりてぇって感じ?」 アイ やっぱり頭悪そう。 女  (聞いちゃいねぇ)結局ね、彼は弱かったんだと思う。もっと別なところに別な幸せがある・・・そんな夢を見ていたかったのね。そのあと、学校に来なくなっちゃって・・・たまに電話とかあって、出てこないか、なんて誘われたけど・・・。 アイ 行かなかった。 女  ・・・どこまでもどこまでもビルが続いているだけ。上を向いても下を向いても右を見ても左を見ても・・・それ以外の何があるのよ。 *しばらく沈黙。 女  (明るく)ほら、あそこ。天の川の中にたくさん明るい星が集まっているのが見える? アイ ああ、・・・カシオペアの隣の。 女  ペルセウスっていうのは英雄の名前で・・・すっごく強くて、怪物メデューサを倒たり、アンドロメダっていうお姫様を助けたり・・・大活躍した人なの。 アイ ギリシャ神話でしたっけ。 女  昔、アルゴスという国に、アクリシオスという王様がいて、ある日、彼は一つの予言を耳にします。 「お前は、実の娘ダナエの子供によって殺されるだろう。」 王は予言を恐れダナエを地下牢に閉じこめてしまいます。窓もない真っ暗な地下牢・・・けれど彼女はそこで一人の男の子を産み落とすの。 アイ それがペルセウスですね。 女  普通なら初孫誕生、オメデトーってわけなんだけど、王様にしたらとんでもない話よね。いよいよ予言が現実になるんじゃねぇか。どーするよ、おい。・・・ってわけで、ひびった王様、次は何をしたと思う? アイ ダナエとペルセウスは箱に入れられて・・・海に流されたんでしたよね。 女  なんだ、知ってた? アイ はい、その話は・・・。 女  ま、その後は、うまいことある島に流れ着いて、ペルセウス少年はすくすくと大きくなりました、ってことになってるんだけど、大事なことは、あきらめちゃ駄目ってこと。希望とか夢とかなくしちゃ駄目ってコト。いつか・・・。 *以下は二人でハモって。 アイ・女 ・・・いつか、きっといいことがある。今は真っ暗に思えても、明けない夜はないんだから。 女  ・・・なあに、なんなの? テレパシー? アイ ちがいます。・・・思い出したんです。 女  なにを? アイ いいえその。・・・ええと、一つ、聞いていいですか? 女  いいけど。 アイ 私の名前、黒石ですけど、・・・小学校の時、両親が離婚して、それで母が結婚する前の姓に戻ったからで・・・前は中村って言ったんです。だから、中村アイ。 女  ・・・それで? アイ それでって・・・聞き覚えとか、ないですか? 「中村アイ」。 女  ないわよ? アイ じゃ、私の顔には? ほら、今じゃなくて、小学生くらいのつもりで。 女  え? どういうこと? アイ ・・・いいえ、いいんです。 女  あるわけないじゃない。あたしはアルデバランからきたのよ? アイ ですよね。 女  ・・・なによ。 アイ え? 女  なんだかはっきりしないわね。 アイ あの。 女  なんだか奥歯に物が挟まったっていうか、かゆい背中に手が届かないっていうか・・・言いたいことがあるんなら、はっきりいったらどう? アイ 言いたい事なんて。 女  あるんでしょう? アイ その・・・もう、いいです。 女  何がいいのよ。 アイ だから、もういいです。 女  よくないわよ。言いなさいって。 アイ 言っても仕方のないことかも知れないし。 女  またそれ。そうやってはぐらかすの、君、うまいわね。さっきだって。 アイ っていうか、言っちゃいけないような。 女  とにかく言ってみなさいよ。 アイ だからその。 女  アイちゃん。 アイ はい。 女  「まっすぐ相手の顔を見て言って欲しい」わね? アイ ・・・そう、ですよね。 女  あたしは、ちゃんと、話してるわよ? アイ ・・・。 女  しょうがないわね。・・・じゃ、これ。 アイ なんですか、これ。風邪薬? 女  に、見えるでしょうけど、実は。 アイ あ、はいはい。 女  君の心の扉を開けて・・・それを言葉に変える勇気を与えてくれるの。これを口にすれば、徹夜明けの明石屋さんまくらいに口が軽くなるのよ。 アイ それって、かなりアブナイと思いますけど。 女  いいから。さっさと飲みなさい。 アイ ・・・わかりました。 *アイ、飲む。女、見ている。 アイ ・・・なんです? 女  いやに素直ね、アイちゃん? アイ いけませんか? 女  いけなくはないけど・・・普通は飲まないわよ。見ず知らずの他人がくれた薬なんて。そんなんじゃ、君、苦労するわよ、将来。 アイ そういうこと言いますか・・・でも、もう見ず知らずじゃないんでしょ。 女  ほんとに飲んだ? アイ はい。 女  よおし、テストするわよ。 アイ テスト? 女  第一問! アイちゃんはいつまでおねしょをしていましたか? アイ そんな・・・ここで言うんですか? 女  あれ、効いてないのかなー? アイ 幼稚園までです! 女  第二問! 初恋はいつ? アイ 小学六年生の頃・・・。 女  まあ、おませさんだったのねぇ。それで、相手はどんな人だった? アイ 近所のちょっと上の・・・。 女  やだ、それって、さっきの。 アイ そんなんじゃなくて、ほんとに尊敬してたんです。ギャグのセンスは悪かったけど、でも頭は良くて・・・それで、どっか遠くの街の、有名中学に進学しちゃって、それっきりです。今頃は有名大学にでも通ってる・・・はずなんですけど。 女  ・・・そう。 アイ 第三問は? 女  あ、そうね、ええと・・・アイちゃんの悩みはなんですか。 *アイ、立ち上がる。 アイ ほら、あっち。・・・そこの明るい、大きな通りを真っ直ぐに行くと公園が見えるでしょう? 女  二丁目の公園ね。 アイ よく知ってますね。 女  え? アイ いえ。・・・で、そこをもうちょっと行くと、木の陰になってここからだと見えないんだけど、私の学校があります。高校。でも、もう一年くらい行ってない。 女  え? アイ 歩いて二〇分くらい・・・近くなんだけど、どうしても行けないんです。ここで、こうやって坐っていることしかできなくて。ああ、あそこに学校があるんだ、そう考えるだけで、なんだか息が苦しくなってくるし。 もう少ししたら朝になるでしょ。したら部屋に戻るんです。夜が明けてしまう前に。部屋に戻って、ベッドにはいると、母さんが仕事に出かける音がして・・・母さん、の会社朝が早いから・・・それから寝るんです。起きた頃にはもうお昼になってて、家の中は誰もいなくて。 女  ご飯とかは? アイ お昼に起きて朝御飯です。たいてい母さんが用意してくれた物があるから。それ食べて、また部屋に戻って・・・あとはずっと、暗くなるまで部屋の中にじっとしてて・・・それから母さんが帰ってきて、晩御飯は一緒に食べて、母さんが寝た後は、こうやってお弁当を作って屋根の上。でまた、朝になる前に部屋に戻って。 *このとき「アイ」は暗く演じないこと。あくまでも明るく、なんでもないことのようにしゃべること。 女  ふうん・・・なんかややこしそうね。 アイ でも結構快適ですよ。一人で、好き勝手やってるわけだし・・・ヤなのは電話ですね。あの音は、嫌いになった。 女  へえ? アイ あんなイヤなもんはないです・・・やかましいし、なりやまないし、仕方がないから受話器を取ると、たいてい先生だったり学級委員の子だったり。 女  それが・・・イヤなの? アイ イヤですね。みんないろんなコト言ってきますけど・・・今日はこんな面白いコトがあっただの、明日の時間割はどうだの・・・でもそれはどうでもいいことで・・・あれって、ほんとにいいたいことはいつもおんなじなんです。 女  へえ、どんなこと? アイ なんだと思います? 女  さあ、わかんないわよ。 アイ わかりますよ。っていうか、そのうちきっとそれ、口にするはずだから。 女  へえ? ・・・まあ、いいか。つまり、アイちゃんはここんとこ学校に行ってない、と。ふうん、どうして? どうして学校に行かないの? アイ ピンポンピンポンピンポン・・・それです。 女  それって・・・ああ。でも、これって当然の疑問じゃない。 アイ ですよね。でも、これくらいイヤんなるセリフもないですよ。 女  え? どうして? アイ そんなの、ちゃんと答えられるようなら、こんなとこにいるわけないじゃないですか。 女  あ。 アイ そんなこと、人に言われなくったって、毎日考えてるんです。どうしてってね。  ・・・行かなくていいなんて思ってるわけ、ないじゃないですか。行きたいのに行けないから悩んでるんじゃないですか。 女  ・・・ごめん。 アイ 別に謝ることはないですけど。 *沈黙。 女  ・・・やっぱりあれ、イジメとか? アイ さあ、そういうのもあったかもしれないですけど。 女  なにそれ? アイ ええとね・・・説明がしにくいんだけど。たとえば、今、この家が火事になったとするじゃないですか。私もあなたも逃げ遅れて焼け死んだ、としますね? 女  あたしは大丈夫。UFO呼ぶから。 アイ そういうのは反則。とにかく、火に巻かれて死んだ、そういうことにします。いいですね。 女  はーい。 アイ たとえばこういうライターで火が付けられたとします。でも、このライターを踏みつぶしたら、死んだ人間が生き返ってくる・・・そんなわけない。 女  あたりまえじゃない。・・・ああ。 アイ 確かにどっかに原因があったんだろうけど・・・それは、もう、どうでもいいことなんだ。家は焼けちゃって・・・もうないんだから。焼け跡をほじくったってなんにもならない。そしたら・・・こうやって屋根の上にでも登るしかしょうがないじゃないですか。 *沈黙。やがて。 女  ええと。 アイ ええと。 女  あの。 アイ ほんと、よく効くよね、さすがアルデバランの薬。 女  そ、そう。 アイ でね、なんていうか、くらーい日々を過ごしてたわけ。ただ・・・こんなことは考えてた。もしかしたら・・・もうちょっと我慢すれば。そうしたら。 女  もうちょっと、って? アイ いっぺんにすべての問題が解決されてしまう・・・わかんない? 女  ヒントはないの? アイ ええと・・・「ばっかみたい」「そんな大王なんてありえないわ」。 女  ああ、ノストラメロン。 アイ ノストラダムス。ほんっとにギャグのセンス、ないよ? 女  仕方ないじゃない。あたし、宇宙人なんだし。 アイ でしたよね。 *ふたり、ちょっと笑う。 女  もう九月じゃない。 アイ そりゃ、本気で信じてたわけじゃないけど。 女  ばっかみたい。 アイ わかったって。・・・でもさ。 女  なに? アイ これからどうしたらいい? 女  へえ? アイ 恐怖の大王は降りてこない、破滅も来ない・・・だったら、この先ずーっとこのまんまなわけ? この・・・このまんま、ずーっと続いていくわけ? 女  そりゃ・・・そうでしょ。 アイ それでいいの? 女  なんなのよ。 アイ それで・・・それでもかまわない? 女  あのね。何が言いたいんだかわかんないけど、じゃあなに、アイちゃんは地球がぶっこわれちゃったほうがいいっていうわけ? 一九九九年の七月に、 「はい、今月でお終いです。んじゃ、みんな死んで下さいね」 みたいになってほしかったわけ? アイ じゃあ、あなたは我慢できたの? 女  え? アイ 「どこまでもどこまでもビルが続いているだけ。上を向いても下を向いても右を見ても左を見ても」・・・。 女  ああ、それは。 アイ それでも生きて行かなくちゃならないんだよね。勉強して努力していい学校いい会社に入って・・・生きて行くんだ、この、がらんとした空の下で。 女  そ、そうよ。頑張るのよ。頑張って・・・逃げちゃ駄目なのよ。 アイ それは・・・。 女  もう、降りなきゃ駄目よ。こんなとこ降りて、自分の足で歩いて行かなくちゃ駄目よ。 アイ そんなこと・・・。 女  そりゃ、ここでこうやってご飯食べて星見て・・・楽しいだろうけど、それじゃなんにも問題は解決しないわ。 アイ ・・・かわんないなぁ。 女  え? アイ 変わってない。 女  なによ? アイ 明けない夜はない・・・でも、ほんとうにいつまでも明けなかったら? 女  ちょっと、話が見えないけど? アイ こないだね。雨が降った日があったでしょ。で、その時はこの下の部屋で寝てたの。 電気を消して、目をつぶると、通り過ぎる雨と風がまるで波の音みたい聞こえてた。 ちょうど箱の舟のペルセウスみたい。 そしたら夜中。誰かがベッドの横に立ってるの。 女  な、なによ、今度は怪談? アイ ちがうよ。幽霊なんていない。幽霊も、宇宙人も、そんなもの、どこにもいない。そんなの、逃げてるだけ。 それはね、母さんだった。目の前に母さんの顔があった。私の鼻と母さんの鼻がくっつくくらいの距離に。母さんの顔が、おおきな風船みたいに見えた。私の視界全部が顔で。母さん、目をまん丸にしてこっちを見てた。 それから、母さん、なんていったと思う。 女  わかんないわ。 アイ 「死のう」って。 女  え。 アイ 「もう、死のう。お前にも私にも、これからいいことなんか一つもない。起きない。だから、死のう。死んだ方がいい。ママが死なせてあげる。」 母さんの手が私の首に吸い付いて。だんだんだんだん息が苦しくなって。だんだんだんだん母さんの真っ黒な目が大きくなっていって。部屋の中も心の中も真っ黒になっていって。 女  ・・・ア、アイちゃん。 アイ きがつくとやっぱりベッドの中で寝てた。 母さんの姿はなかったし。明かりを付けても、ドアはちゃんとしまっているし。ああ、夢だったんだな、って思った。怖い夢だったなぁって。 ・・・首筋に残った手の跡に気が付くまでは。 *沈黙。 女  アイちゃん。 アイ なに? 女  お茶くれる? アイ いいよ。・・・あ。 女  あら、もうないの? アイ うん。下に降りて作らないと。 女  じゃ、いいわ。・・・アイちゃん? アイ なに? 女  今気が付いたけど。 アイ なにさ? 女  君、タメ口になってない? アイ そう・・・かな。 女  そうよ。 アイ 気に障る? 女  でもないけど。 アイ 直しますよ、気にいらないんなら。 女  いいわよ。・・・なんか、不思議な感じ。 アイ なにが。 女  ずっと昔から知ってるような気がする。 アイ 案外そうかも。 女  これはギャグよ。 アイ センスないです。 女  そうよ。・・・なによ。 アイ なんでもない。 女  いいわ・・・とにかく、そういうことなら、あたしがなんとかしようじゃないの。 アイ へぇ? 女  恐怖の大王とはいかないけど、七月には間に合わなかったけど、あたし達アルデバラン星人がもうすぐ地球を征服するから、だから・・・なによ。 アイ なんでもない。 女  なによ。 アイ なんでもないって。 女  駄目よ。君はもう隠し事はできないの。だってあの薬を飲んでるんだから。 アイ ああ・・・そうだっけ。 女  そうなのよ。さあ、言うの。なんなのよ? アイ ・・・もうすぐ夜が明ける。 女  え? アイ 星は消えて・・・夢も消える。 女  何言ってるの? アイ ね、偶然? あなたがこの屋根を選んだのは? 警察に追われて・・・たぶん、家出人捜索かなんかだと思うけど・・・とっさに私の家に来てくれたのは、ただの偶然? 女  なに言ってるの? さっぱりわからない。 アイ 一緒に星を見たっけね。アルデバランもそのとき教えてもらった。こんなふうに坐って。ね、なにがあったのさ、あれから? *手を伸ばすアイ。振り払う女。 女  変なこと言わないで! アイ 最初わかんなかった。だってそのヘアスタイル・・・いくらなんでも趣味悪いし。 女  これはアルデバランではやってる髪型なの! アイ 宇宙人なんかいないよ。恐怖の大王とおんなじ。・・・ねぇ、おねーちゃん。 女  嘘。嘘ばっかり。 アイ 嘘じゃない。 女  うそ、嘘よ! でたらめよ! アイ 「だってあの薬を飲んでる」んじゃなかった? 女  ちがう! アイ もう・・・だめなのかな。 女  罠ね? 最初からみんな罠だったのね? アイ おねーちゃん。 女  (笑う)地球人もなかなかやるじゃない。だけど、あたしだって負けないわよ。 *ケイタイを取り出してしゃべる。 女  こちら工作員B七五号、司令部応答願います。アルデバラン星司令部、応答願います。 アイ もうやめてよ。おねーちゃん。 女  至急UFOをお願いします。地球人はすでにこちらの存在を察知しており、はい、侵略計画全体を再検討する必要があります。 *以下、女は「応答して下さい」「聞こえないの」「司令部」とかなんとか言い続ける。 アイ 私、忘れてなかったよ。おねーちゃんのこといつだって。 女  あたしは宇宙人なのよ! 寄らないで! アイ 私、頑張ってきたよ? *熊のぬいぐるみをかざす。 女  お、押すわよ! アイ おねーちゃん。 女  ちがう! ちがうわ! アイ ちがわない。 *遠くにパトカーのサイレン。 女  ほら! 迎えのUFOよ! アイ あれは。 女  動かないで! ・・・今夜は引き分けってとこね。でも、いい、いつか、きっとまた・・・きっと地球を征服してみせる。そして、あたしは空を手に入れるのよ。 アイ 空? *女、じりじり後退する。 女  邪魔はさせないわ。あたしは、あたしは。 アイ ・・・うん。そうだね。待ってる。 女  ・・・! アイ 本当だよ。 女  ・・・なんなのよ。 アイ 待ってる。ずっと。・・・おねーちゃん。 女  ・・・。 *女、姿を消す。 パトカーのサイレン、だんだん大きくなる。 SSで横から赤の光を点滅させる。 やがて小さくなって消える。 音楽「中央線」。 かぶって、アイの独白。 アイ ・・・それはまだ私が屋根の上に住んでいたころの話。一〇〇円ライターを手のひらの上でいじくりまわして、それでなにに火を付けたらいいのかわからないでいた頃の話。自分を燃やしたらいいのか家を燃やしたらいいのかそれともいっそ世界を燃やしたらいいのか。いまだに結論は出ていないけれど、とにかくライターは私の手の上にある、そのことに気が付いた頃の話。 ついでに言えば、とうとう明けない夜が明けた頃の話。 *ゆるやかに照明が朝に変わってゆく。   逃げ出した猫を   探しに出たまま   もう二度と君は   帰ってこなかった   今頃君は   どこか居心地のいい   街を見つけて猫と   暮らしてるんだね   走り出せ 中央線   夜を越え 僕を乗せて *音楽終わり。緞帳降りる。                  ・・・幕。