管理人ブログ - 演劇コラムカテゴリのエントリ
目の前に様々な情景が浮かび、頭がフル回転している。久しぶりの感覚だ。数日前、O高校のM先生から、近況報告と発表会へのお誘いのメールが届いた。元々見にいくつもりだったが、やり取りの中で、お手伝いをさせて頂けることになり、今日、宅急便で台本が届いた。柏木康博さんという、確か高校の顧問の先生作の「三つの色の金平糖」。いわゆる「演劇部もの」で、典型的な予定調和のさわやかな手筋ものだ。
いろんな舞台構成や演出プランが浮かぶ。部員達も去年の夏から何度か舞台を見ている知り合いなので、読み返すうちに、彼女たちの姿と声で、頭の中でキャストが動き出す。本番は、3月30日。お手伝いは、明日。3日前にたった一日の飛び込みで出来ることは限られているが、久しぶりに現場の空気に触れられるので、否応なく血が騒いでいる。
お互いに楽しくて密度の濃い時間が共有できるようにしたい。明日が、楽しみだ。
いろんな舞台構成や演出プランが浮かぶ。部員達も去年の夏から何度か舞台を見ている知り合いなので、読み返すうちに、彼女たちの姿と声で、頭の中でキャストが動き出す。本番は、3月30日。お手伝いは、明日。3日前にたった一日の飛び込みで出来ることは限られているが、久しぶりに現場の空気に触れられるので、否応なく血が騒いでいる。
お互いに楽しくて密度の濃い時間が共有できるようにしたい。明日が、楽しみだ。
月曜から日曜まで、ほぼ毎日楽しみなドラマがあった頃がある。確か、月曜が「一つ屋根の下2」で、火曜日が「ギフト」、水曜日が「いいひと」じゃなかったかな?他は忘れてしまったが、毎日、ビデオの予約録画をしていたのを覚えている。
最近は、ドラマが視聴率も内容も低迷気味だったが、このクールは、面白かった。月曜は「不機嫌なジーン」、火曜は「救命病棟24時」、木曜は「富豪刑事」、金曜は「特命係長只野仁」、土曜は、当然「ごくせん」。残念ながら、日曜の「Mの悲劇」は、最初の1,2回でうんざりしてしまったし、ついでにいうと、木曜10時の「優しい時間」は、初回を少し見て、止めてしまった。
「不機嫌なジーン」は、動物行動学者という設定の面白さと、何より、内野聖陽と小林聡美が見ていて飽きない。「救命病棟」は、テーマがタイムリー(というのは不謹慎かも知れないが)なのと、やはり、脚本がしっかりしていて面白い。それと小市慢太郎がすごくいい・・・というかオイシイ(笑)。ただ、手術シーンが多すぎるのと、進藤がスーパーマン過ぎるのが少し気になるけど、まあ、そういうドラマだよね。その後の、木、金、土の3本は、何というか、B級とマンネリに徹している潔さがすごくいい。何にも考えずに、気楽に笑うことが出来る。ただ、筒井康隆の出たがりには、ホトホト呆れてしまう。きっと、現場でも原作者である彼の大根ぶりに苦々しい思いをしながら、誰も何も言えないんだろうな。
最近は、ドラマが視聴率も内容も低迷気味だったが、このクールは、面白かった。月曜は「不機嫌なジーン」、火曜は「救命病棟24時」、木曜は「富豪刑事」、金曜は「特命係長只野仁」、土曜は、当然「ごくせん」。残念ながら、日曜の「Mの悲劇」は、最初の1,2回でうんざりしてしまったし、ついでにいうと、木曜10時の「優しい時間」は、初回を少し見て、止めてしまった。
「不機嫌なジーン」は、動物行動学者という設定の面白さと、何より、内野聖陽と小林聡美が見ていて飽きない。「救命病棟」は、テーマがタイムリー(というのは不謹慎かも知れないが)なのと、やはり、脚本がしっかりしていて面白い。それと小市慢太郎がすごくいい・・・というかオイシイ(笑)。ただ、手術シーンが多すぎるのと、進藤がスーパーマン過ぎるのが少し気になるけど、まあ、そういうドラマだよね。その後の、木、金、土の3本は、何というか、B級とマンネリに徹している潔さがすごくいい。何にも考えずに、気楽に笑うことが出来る。ただ、筒井康隆の出たがりには、ホトホト呆れてしまう。きっと、現場でも原作者である彼の大根ぶりに苦々しい思いをしながら、誰も何も言えないんだろうな。
以前、劇団四季の「オペラ座の怪人」に批判的なコラムを書いた。しかし、私が四季やミュージカルについて、批評に十分な知識や経験を持っているかというと、心許ない。もちろん、一観客の立場でブログを書くことに問題はないが、少し釈然としないので、今、少しずつ勉強をしている。
手始めに、「劇団四季と浅利慶太」という本を買った。この本の面白いところは、著者が演劇評論家ではないこと。松崎哲久という元自民党の方で、今までは政治分析の著書を出している。従って、内容は劇団四季の歴史、経営戦略、人材開発といった観点から語られている。
あとがきを読むと浅利慶太氏と親しいようなので、多少、四季よりの立場で書かれているであろうし、実際、内容は一言で言えば、「四季は素晴らしい。」ということの論証である。しかし、そこに語られていることは、説得力があり、私も劇団四季は演劇文化を支えるために日本に必要だと思わされてしまった(笑)。
「千と千尋」も「ハウル」も今ひとつだったけど、それでも、ジブリを応援したい。四季に対する今の気持ちはそんな感じだ。どちらも、他には代わりが存在しないから。
手始めに、「劇団四季と浅利慶太」という本を買った。この本の面白いところは、著者が演劇評論家ではないこと。松崎哲久という元自民党の方で、今までは政治分析の著書を出している。従って、内容は劇団四季の歴史、経営戦略、人材開発といった観点から語られている。
あとがきを読むと浅利慶太氏と親しいようなので、多少、四季よりの立場で書かれているであろうし、実際、内容は一言で言えば、「四季は素晴らしい。」ということの論証である。しかし、そこに語られていることは、説得力があり、私も劇団四季は演劇文化を支えるために日本に必要だと思わされてしまった(笑)。
「千と千尋」も「ハウル」も今ひとつだったけど、それでも、ジブリを応援したい。四季に対する今の気持ちはそんな感じだ。どちらも、他には代わりが存在しないから。
卒業生のN,I,Yと一緒に、前回、野田秀樹風を上演したAの2作目の公演を見にいった。場所は、江古田ストアハウス。客性50のこぢんまりした空間だ。前回とは、全く違う脚本、演出、役どころ。巨大宇宙ステーションと地上の戦いにロボットを絡めたSFもの。率直に言って、脚本と演出にかなり破綻と未消化があり、設定やストーリーを理解するのが難しかったが、キャストはよくがんばっていた。
特に、ロボット役のAが目覚めて、宇宙ステーションの艦長と対立するシーンは見応えがあった。中学生の頃からそうだったが、Aには、華というかオーラのようなものがあって、いつの間にか観客は彼女に釘付けになる。大したものだ。また、その後の女艦長の狂気をはらんだ演技も見応えがあった。
舞台が終わった後、Aが挨拶に来る。
「どうでしたか?」
「寝てるシーン、ホントに寝てるのかと思った。」
「うちの父も、『おまえ、今度の役、楽だな。』っていってました(笑)。」
「確かに。」
「次も、また、絶対来て下さいね。ほんとに!」
「うん、必ず来るよ。」
「ダメ出しとかありますか?」
「演技は良かったよ。」
「ダメ出しとかありますか?」
「正直言って、脚本厳しいけど、演技は良かったよ。」
「ほんとですか?」
「うん。」
「次も、また、絶対来て下さいね。ほんとに!」
「必ず来るよ。」
少し、ホッとした様子だった。その後、元、法政二高のキャストとも少し話が出来た。
「あの、ロックに出てた方ですよね。」
「はい、そうです。」
「町田で見ました。感動しました。」
「ありがとうございます。」
「この前の劇のことになっちゃうんですけど・・・。」
「どんどん、いってください。」
とても、気さくでいい人だった。
帰りに池袋で食事。新宿で卒業生と別れる。
「じゃあね。」
「ありがとうございましたあー!」
久しぶりに、みんなに会えて、楽しい一日だった。
特に、ロボット役のAが目覚めて、宇宙ステーションの艦長と対立するシーンは見応えがあった。中学生の頃からそうだったが、Aには、華というかオーラのようなものがあって、いつの間にか観客は彼女に釘付けになる。大したものだ。また、その後の女艦長の狂気をはらんだ演技も見応えがあった。
舞台が終わった後、Aが挨拶に来る。
「どうでしたか?」
「寝てるシーン、ホントに寝てるのかと思った。」
「うちの父も、『おまえ、今度の役、楽だな。』っていってました(笑)。」
「確かに。」
「次も、また、絶対来て下さいね。ほんとに!」
「うん、必ず来るよ。」
「ダメ出しとかありますか?」
「演技は良かったよ。」
「ダメ出しとかありますか?」
「正直言って、脚本厳しいけど、演技は良かったよ。」
「ほんとですか?」
「うん。」
「次も、また、絶対来て下さいね。ほんとに!」
「必ず来るよ。」
少し、ホッとした様子だった。その後、元、法政二高のキャストとも少し話が出来た。
「あの、ロックに出てた方ですよね。」
「はい、そうです。」
「町田で見ました。感動しました。」
「ありがとうございます。」
「この前の劇のことになっちゃうんですけど・・・。」
「どんどん、いってください。」
とても、気さくでいい人だった。
帰りに池袋で食事。新宿で卒業生と別れる。
「じゃあね。」
「ありがとうございましたあー!」
久しぶりに、みんなに会えて、楽しい一日だった。
色々あって、劇場に入ったときは、冒頭のオークションのシーンが始まっていた。頭を下げまくりながら自席へ。さっと時間がさかのぼり、描き出されるオペラ座の猥雑で活気に溢れたシーンに、どんどん引きこまれていった。四季を見たときによくわからなかったシーンも映画を観て、「ああ、そうか。」と納得することが出来た。こちらが後であることを考えても、数倍面白かった。
キャストは、皆、本格的に歌えるものばかりで、ヒロインの声質は、ジュリーアンドリュースを彷彿とさせた。顔は、ハッキリとジュリア・ロバーツ系と言っていいだろう。 それにしても、今までも、外国の女優は大人っぽい(老けて見える?)と思っていたが、後半、妖艶とも言える演技を見せるヒロインが、撮影時、18歳くらいだったというのは本当に驚いた。
映画でも、非常に歌が多かった。もちろん、原作がそうなのだろうが、ミュージカル版の作者が、監督と二人三脚で作っているので、どれも削れなかったのかも知れない。
ただ、演劇部の生徒が、今までやってきた劇のセリフを好んで日常会話に取り込むように、この人達なら、普段から会話の代わりに歌うかも知れないと思わせる世界が描かれていたし、上品な笑いや緊張感、ロマンティックなシーン等、バランス良く取り混ぜてあって、うんざりする感じではなかったし、歌のシーンを純粋に楽しませてくれる仕上がりだった。もし、サントラが出たら是非、買いたい。それにしても、劇団四季の、マイクを通したキンキンする歌や音楽より、こちらの方が臨場感があったのは皮肉なことだ。
上演時間の155分があっという間だった。四季との一番の違いは、ヒロインやファントムの感情の襞を堪能できたこと。特に後半は、すっかり、ファントムに感情移入している自分がいた。「がんばれ!おじさん!!(笑)」
最後の嬉しい驚きは、エンドロールが終わるまで、誰一人席を立たなかったこと。私達は、いつも、エンドロールが終わるまで待っているが、結構、がさがさと席を立つ人がいるものだ。
「何でだろう?」
「きっと、オーシャンズ12なら立ってるよ。こっち選んだ客はそう言う人たちなんじゃないの?」
「そうか、客層ね・・・・でも、そう言う客層の中に、遅れて入っていく俺たちって、どうよ。」
「・・・最悪だな。」
もう一回、最初から、観てみたい。
キャストは、皆、本格的に歌えるものばかりで、ヒロインの声質は、ジュリーアンドリュースを彷彿とさせた。顔は、ハッキリとジュリア・ロバーツ系と言っていいだろう。 それにしても、今までも、外国の女優は大人っぽい(老けて見える?)と思っていたが、後半、妖艶とも言える演技を見せるヒロインが、撮影時、18歳くらいだったというのは本当に驚いた。
映画でも、非常に歌が多かった。もちろん、原作がそうなのだろうが、ミュージカル版の作者が、監督と二人三脚で作っているので、どれも削れなかったのかも知れない。
ただ、演劇部の生徒が、今までやってきた劇のセリフを好んで日常会話に取り込むように、この人達なら、普段から会話の代わりに歌うかも知れないと思わせる世界が描かれていたし、上品な笑いや緊張感、ロマンティックなシーン等、バランス良く取り混ぜてあって、うんざりする感じではなかったし、歌のシーンを純粋に楽しませてくれる仕上がりだった。もし、サントラが出たら是非、買いたい。それにしても、劇団四季の、マイクを通したキンキンする歌や音楽より、こちらの方が臨場感があったのは皮肉なことだ。
上演時間の155分があっという間だった。四季との一番の違いは、ヒロインやファントムの感情の襞を堪能できたこと。特に後半は、すっかり、ファントムに感情移入している自分がいた。「がんばれ!おじさん!!(笑)」
最後の嬉しい驚きは、エンドロールが終わるまで、誰一人席を立たなかったこと。私達は、いつも、エンドロールが終わるまで待っているが、結構、がさがさと席を立つ人がいるものだ。
「何でだろう?」
「きっと、オーシャンズ12なら立ってるよ。こっち選んだ客はそう言う人たちなんじゃないの?」
「そうか、客層ね・・・・でも、そう言う客層の中に、遅れて入っていく俺たちって、どうよ。」
「・・・最悪だな。」
もう一回、最初から、観てみたい。
石黒賢がまた死んだ(笑)。もちろん、ドラマの中の話。いわゆる、レギュラーは結構あるが、主役になかなか慣れない役者というのがいるが、彼はその典型だろう。
大体の役所は、ヒロインの彼氏。仕事が出来て、紳士で、でも、最後には必ず主役にヒロインを奪われてしまう。ところが、今回の「救命病棟24時」では違っていた。最初は、松嶋菜々子に一緒に外国に行くことを断られていたので、「ああ、いつも通りだな。」と思っていたのが、回が進むうちに、松嶋菜々子が「一段落したら、私は彼についていきます。」と言いだした。
「これ、きっと石黒賢殺されるよね。」
我が家の意見は一致していた。そして、残念ながら、その通りになってしまった。
何なのだろう、彼に足りないものは。演技力?顔?私は、声かなと思っているが・・・。そう言えば、仲間由紀恵も矢田亜希子もそう言う時代が長かった。仲間由紀恵は、主役を思いながら、ヒロインに取られてしまう役。矢田亜希子は、正義感の強いお嬢様。それが、最近、やっと「ごくせん」や「ラストクリスマス」で主役を張るようになってきた。
共通点は、やくざ、ヤンキーと言った今までのイメージを大きく変える設定をしたこと。石黒賢も、極悪の犯人役かなんかで殻を破らないとイメージが変わらないかな・・・余計なお世話か。
大体の役所は、ヒロインの彼氏。仕事が出来て、紳士で、でも、最後には必ず主役にヒロインを奪われてしまう。ところが、今回の「救命病棟24時」では違っていた。最初は、松嶋菜々子に一緒に外国に行くことを断られていたので、「ああ、いつも通りだな。」と思っていたのが、回が進むうちに、松嶋菜々子が「一段落したら、私は彼についていきます。」と言いだした。
「これ、きっと石黒賢殺されるよね。」
我が家の意見は一致していた。そして、残念ながら、その通りになってしまった。
何なのだろう、彼に足りないものは。演技力?顔?私は、声かなと思っているが・・・。そう言えば、仲間由紀恵も矢田亜希子もそう言う時代が長かった。仲間由紀恵は、主役を思いながら、ヒロインに取られてしまう役。矢田亜希子は、正義感の強いお嬢様。それが、最近、やっと「ごくせん」や「ラストクリスマス」で主役を張るようになってきた。
共通点は、やくざ、ヤンキーと言った今までのイメージを大きく変える設定をしたこと。石黒賢も、極悪の犯人役かなんかで殻を破らないとイメージが変わらないかな・・・余計なお世話か。
演劇部の顧問になってから、ずっと疑問に思っていることがある。それは、「中学校演劇とは何か?」ということと「演劇教育とは何か?」ということ。
大体、「中学校演劇を応援する」といいながら、ひどい話だが、この「中学校演劇」と言う言葉の意味がよくわからない。「中学校合唱」も「中学校バスケット」も、もちろん、それぞれ中学校での活動はあるが、他との質的な区別は、聞いたことがない。
実際、私は十数年、バスケット部の顧問をしてきたが、基本的に、中学、高校、実業団で、特に区別はない。技術や戦術、練習法も、体力と発達段階の違いによる程度の差こそあれ、何も変わらないし、積極的に上位団体の講師を呼んで、最新の考え方を取り入れていく。
また、「演劇教育」と言う言葉も特殊だ。例えば、「数学教育」と言うときには、「数学をどう教えるか」と「数学を通して何を教えるか。」と言うことを話題にするのが普通だ。これは、「音楽教育」でも同じだと思う。
当然、「演劇教育」といえば、「演劇をどう教えるか」と「演劇を通じて何を教えるか」が話題になるはずだが、何故かそうではない。「演劇をどう教えるか」が話題になることはほとんどないし、「演劇を通じて〜」もまずない。あるのは、「教育のための演劇」の話だ。つまり、「演劇教育」は、「教育演劇」と同義語として使われているのだ。
5年前、初めて都大会の合評会に出たときは驚いた。
「キャラメル(ボックス)の様な商業演劇を、なぜ、中学生にやらせるのか。」
「最近は、高校演劇ばかり上演する。何故、中学生に直さないのか。」
「あそこは外部指導員(プロ)だから・・・。」
そこには、「商業演劇」「高校演劇」「中学校演劇」「演劇教育」という様々な「質的な」くくり分けがあり、中学生は、「中学生がやるべき」演劇をやり、顧問は、「教育」を第一に考えて、脚本選びや指導をしなければならないというのだ。スポーツと演劇は違うという意見もあるだろうが、では、合唱や吹奏楽はどうだろうか?やはり、演劇だけの特別な考え方だと思う。
つまり、中学生が演じるべき、中学生の登場する道徳的な情操教育に適した脚本を、しっかりした小道具、大道具を用意して、しっかりした発声で「中学生らしく」演じるのが理想なのだ・・・と、少なくとも、その時の私には受け止められた。
「何故、キャラメルだといけないんですか?」
「どうして、中学生が高校生を演じちゃいけないんですか?」
「私は、演劇はやってますが、演劇教育(教育演劇)をしようとは思いません。」
たかだか演劇を始めて2年目の若輩が、数十年、演劇教育に関わってきた諸先輩方に、猛然と食ってかかった。若気(??)の至りである(笑)。
今は、自分の考えも少しずつ変わってきたし、合評会の雰囲気も随分変わってきて、風通しも良くなってきた。しかし、依然として、一部に排他的な「くくり分け」の意識と「教育演劇」の発想があることは否めない。
最近、友人の薦めで、「mixi」というコミュニティサイトに参加している。そこで、何人かの劇団関係者やプロのスタッフの方の貴重な意見を聞く機会に恵まれた。そして、ますます、プロの方との交流の必要性を強く感じている。
今までは、ネットでも、中学や高校向けのサイトを探すことに躍起になっていたが、最近は、プロの方のサイトを訪問することが増えてきた。そして、それが実に面白い。
そういうわけで、これから、そういう方面のリンクも充実させていきたいと思います。もし、お薦めがあれば、リンク集に推薦して下さい。よろしくお願いします。
大体、「中学校演劇を応援する」といいながら、ひどい話だが、この「中学校演劇」と言う言葉の意味がよくわからない。「中学校合唱」も「中学校バスケット」も、もちろん、それぞれ中学校での活動はあるが、他との質的な区別は、聞いたことがない。
実際、私は十数年、バスケット部の顧問をしてきたが、基本的に、中学、高校、実業団で、特に区別はない。技術や戦術、練習法も、体力と発達段階の違いによる程度の差こそあれ、何も変わらないし、積極的に上位団体の講師を呼んで、最新の考え方を取り入れていく。
また、「演劇教育」と言う言葉も特殊だ。例えば、「数学教育」と言うときには、「数学をどう教えるか」と「数学を通して何を教えるか。」と言うことを話題にするのが普通だ。これは、「音楽教育」でも同じだと思う。
当然、「演劇教育」といえば、「演劇をどう教えるか」と「演劇を通じて何を教えるか」が話題になるはずだが、何故かそうではない。「演劇をどう教えるか」が話題になることはほとんどないし、「演劇を通じて〜」もまずない。あるのは、「教育のための演劇」の話だ。つまり、「演劇教育」は、「教育演劇」と同義語として使われているのだ。
5年前、初めて都大会の合評会に出たときは驚いた。
「キャラメル(ボックス)の様な商業演劇を、なぜ、中学生にやらせるのか。」
「最近は、高校演劇ばかり上演する。何故、中学生に直さないのか。」
「あそこは外部指導員(プロ)だから・・・。」
そこには、「商業演劇」「高校演劇」「中学校演劇」「演劇教育」という様々な「質的な」くくり分けがあり、中学生は、「中学生がやるべき」演劇をやり、顧問は、「教育」を第一に考えて、脚本選びや指導をしなければならないというのだ。スポーツと演劇は違うという意見もあるだろうが、では、合唱や吹奏楽はどうだろうか?やはり、演劇だけの特別な考え方だと思う。
つまり、中学生が演じるべき、中学生の登場する道徳的な情操教育に適した脚本を、しっかりした小道具、大道具を用意して、しっかりした発声で「中学生らしく」演じるのが理想なのだ・・・と、少なくとも、その時の私には受け止められた。
「何故、キャラメルだといけないんですか?」
「どうして、中学生が高校生を演じちゃいけないんですか?」
「私は、演劇はやってますが、演劇教育(教育演劇)をしようとは思いません。」
たかだか演劇を始めて2年目の若輩が、数十年、演劇教育に関わってきた諸先輩方に、猛然と食ってかかった。若気(??)の至りである(笑)。
今は、自分の考えも少しずつ変わってきたし、合評会の雰囲気も随分変わってきて、風通しも良くなってきた。しかし、依然として、一部に排他的な「くくり分け」の意識と「教育演劇」の発想があることは否めない。
最近、友人の薦めで、「mixi」というコミュニティサイトに参加している。そこで、何人かの劇団関係者やプロのスタッフの方の貴重な意見を聞く機会に恵まれた。そして、ますます、プロの方との交流の必要性を強く感じている。
今までは、ネットでも、中学や高校向けのサイトを探すことに躍起になっていたが、最近は、プロの方のサイトを訪問することが増えてきた。そして、それが実に面白い。
そういうわけで、これから、そういう方面のリンクも充実させていきたいと思います。もし、お薦めがあれば、リンク集に推薦して下さい。よろしくお願いします。
かめあり演劇祭に出かけた。目当てはもちろん、新宿中の裏町のピーターパン。詳しい日程を聞くために、昨日、顧問の先生に連絡を取った。まず、NTTの番号案内へ。
「すみません。葛飾区のしんじゅくちゅう、お願いします。」
「はい。・・・葛飾区立『にいじゅく』中学校をご案内します。」
顔から、火が出そうだった(笑)。番号案内の方は、きっと、毎度のことなのだろう。穏和な声の顧問の先生から、時程等詳しい話を聞くことが出来た。
「ありがとうございました。お忙しいときに済みません。きっと、練習中でしたよね。」
「ええ、丁度、体育館で最後のリハーサルの所です。」
折角なので、情報をサイトに掲載させて頂いた。
亀有は、私の住む町田からは、いわば東京の反対側。随分時間がかかるかと思ったが、ジョルダンで調べたら、1時間ちょっとだった。結構近い。ところが、油断したせいか、乗り継ぎを間違えて、会場に着いたときには、開演から10分ほど過ぎていた。オープニングの猛の絵本の朗読が聞けず、残念だった。
少し、補足説明すると、この「裏ピ」には、先に出来たミュージカル版と後から出来たストレートプレイ版がある。それぞれに、後半の展開が少し違う。さらに色々な関係で、ミュージカル版はキャストが6人で、ストレート版は、5人になっている。私達が堺中で上演したのは、ミュージカル版でキャストは6人。最近、ミュージカルが敷居の高いせいか、中学生の上演はほとんどがストレート版で、キャストが5人のものが多かった。私達は、6人版にしか出てこない「良彦」と言うキャラが大好きだ。まあ、いなくても劇が成立するのだが、丁度、ルパン三世の次元のような存在で、何とも言えないいい味がある。
しかし、今日の上演は、キャスト5人の脚本にミュージカル版の歌と踊りを盛り込んだもののようだ。また、「ちんかつ」の出番も少なくしているようで、部員数の関係等で色々苦労があるようだ。この当たりは、うちにも覚えがあることで、身につまされる。ネズミは、私達とはまったく、キャラの設定が違っていて、新鮮だった。彼女が劇全体を引っ張っていた。部長さんかな?
「乞食のロック」、「せつなくて」、「恋の手ほどき」と懐かしい曲が次々と流れる。歌も踊りも演劇もすべてが初めてで部員と一緒に手探りしていた4年半前にタイムスリップして、涙が出そうだった。きっと、この舞台を作り上げるために、新宿中の顧問と生徒も楽しい苦労を重ねてきたのだろう。
色々な意味で、楽しい時間を過ごすことが出来た。新宿中学校の皆さん、どうも、ありがとう。家に戻って、旧サイトの動画コーナーを移してなかったのを思い出した。私達の上演したときの「せつなくて」というデュエットだ。取りあえずアップしました。良ければ聞いてみて下さい。
「すみません。葛飾区のしんじゅくちゅう、お願いします。」
「はい。・・・葛飾区立『にいじゅく』中学校をご案内します。」
顔から、火が出そうだった(笑)。番号案内の方は、きっと、毎度のことなのだろう。穏和な声の顧問の先生から、時程等詳しい話を聞くことが出来た。
「ありがとうございました。お忙しいときに済みません。きっと、練習中でしたよね。」
「ええ、丁度、体育館で最後のリハーサルの所です。」
折角なので、情報をサイトに掲載させて頂いた。
亀有は、私の住む町田からは、いわば東京の反対側。随分時間がかかるかと思ったが、ジョルダンで調べたら、1時間ちょっとだった。結構近い。ところが、油断したせいか、乗り継ぎを間違えて、会場に着いたときには、開演から10分ほど過ぎていた。オープニングの猛の絵本の朗読が聞けず、残念だった。
少し、補足説明すると、この「裏ピ」には、先に出来たミュージカル版と後から出来たストレートプレイ版がある。それぞれに、後半の展開が少し違う。さらに色々な関係で、ミュージカル版はキャストが6人で、ストレート版は、5人になっている。私達が堺中で上演したのは、ミュージカル版でキャストは6人。最近、ミュージカルが敷居の高いせいか、中学生の上演はほとんどがストレート版で、キャストが5人のものが多かった。私達は、6人版にしか出てこない「良彦」と言うキャラが大好きだ。まあ、いなくても劇が成立するのだが、丁度、ルパン三世の次元のような存在で、何とも言えないいい味がある。
しかし、今日の上演は、キャスト5人の脚本にミュージカル版の歌と踊りを盛り込んだもののようだ。また、「ちんかつ」の出番も少なくしているようで、部員数の関係等で色々苦労があるようだ。この当たりは、うちにも覚えがあることで、身につまされる。ネズミは、私達とはまったく、キャラの設定が違っていて、新鮮だった。彼女が劇全体を引っ張っていた。部長さんかな?
「乞食のロック」、「せつなくて」、「恋の手ほどき」と懐かしい曲が次々と流れる。歌も踊りも演劇もすべてが初めてで部員と一緒に手探りしていた4年半前にタイムスリップして、涙が出そうだった。きっと、この舞台を作り上げるために、新宿中の顧問と生徒も楽しい苦労を重ねてきたのだろう。
色々な意味で、楽しい時間を過ごすことが出来た。新宿中学校の皆さん、どうも、ありがとう。家に戻って、旧サイトの動画コーナーを移してなかったのを思い出した。私達の上演したときの「せつなくて」というデュエットだ。取りあえずアップしました。良ければ聞いてみて下さい。
学校の懇親会で、劇団四季の「オペラ座の怪人」を見にいった。演劇部顧問として恥ずかしい話かもしれないが、四季を見たのは初めてだ。日本で黒字の劇団は、四季とキャラメルぐらいとも聞く(笑)。一体、どんな世界なのか、「オペラ座の怪人は凄いらしい」し、もう、1週間くらい前からワクワクしていた。
オープニングのオークションのシーンは、素晴らしかった。これから始まる世界に思いを馳せ、引きこまれた。しかし、残念ながら、そこで終わりだった。後はただ、時間が過ぎていくのを我慢しているだけの苦痛の時間だった。多分、一人で見に来ていたら、途中の休憩で帰ってしまったろう。しかし、他の先生方とも一緒だったし、もしかしたら、後半盛り上がるかも知れないと思い、最後まで見たが、結果は同じだった。自分だけかと思い、一緒に行った先生方にも聞いてみたが、ほとんどが四季は初めてだったようだが、奥歯に物が挟まったような物言いだった。
念のため、断っておくが、座席が後方だったので、細かい役者の表情等はよく分からなかったし、ミュージカルを見慣れているわけではないので、楽しみ方がわからないということはあるかも知れない。エンターテイメントとして、きれいな衣装と大がかりな舞台装置や、火が走ったり、雷が光ったり、ファントムが消えたりする派手な演出を楽しめば良かったのかも知れない。
けれど、「演劇」のつもりで観にいった私には、144分間ひとときも休むことなく続く、マイクを通した大音量のセリフと歌が耐えられなかった。すべてのセリフが、舞台の中央の空中から聞こえてくる。
何故、あんなにボリュームを上げなければいけないのだろう。先日観たキャラメルとホールの広さはそれほど変わるとは思えない。あっちもマイクで拾っていたかも知れないが、最後方にいた私の席まで、それぞれの役者の口から、はっきりと肉声が聞こえてきた。
いくつかの、多分、素晴らしいのであろう歌の部分も、スピーカーを通した金属的な音のせいで、感動することが出来ない。さらに、ほとんどのセリフにメロディーがついているために、どうでもいいセリフの時は、先に進まないし、大事なセリフの時には、感情が読み取れない。まあ、広い劇場のミュージカルというのはそう言うものだよと言うことであれば仕方ないが、オペラ座の怪人という演目では、私は、葛藤が観たかった。
少なくとも、以前観た森繁久弥の「屋根の上のバイオリン弾き」は、歌も踊りも親子の心の襞も、すべて楽しむことが出来たし、あんなにずっとオペラのように歌ってはいなかった。上演が終わってのカーテンコールでの会場の拍手も、公平に言って「割れんばかり」とは言い難かった。特に、会場の照明がついてからは、普通、大きな拍手が続く中で、じれるくらいの間が空いてから、主役が登場するものだが、今日は、観客が拍手を止め、ぞろぞろ帰りだしているときに、慌ててキャストが出て来る始末だった。
しかし、観たことはないが、「キャッツ」なら、純粋に歌と踊りを楽しめそうな気もする。いずれにせよ、ある意味で、今日の経験で、私が演劇に求めているものが少しはっきりしてきたように思う。その為にも、もう少し、四季と付き合ってみようと思う。もし、このコラムをご覧になってる方で、御意見等があれば、是非、聞かせて下さい。お願いします。
オープニングのオークションのシーンは、素晴らしかった。これから始まる世界に思いを馳せ、引きこまれた。しかし、残念ながら、そこで終わりだった。後はただ、時間が過ぎていくのを我慢しているだけの苦痛の時間だった。多分、一人で見に来ていたら、途中の休憩で帰ってしまったろう。しかし、他の先生方とも一緒だったし、もしかしたら、後半盛り上がるかも知れないと思い、最後まで見たが、結果は同じだった。自分だけかと思い、一緒に行った先生方にも聞いてみたが、ほとんどが四季は初めてだったようだが、奥歯に物が挟まったような物言いだった。
念のため、断っておくが、座席が後方だったので、細かい役者の表情等はよく分からなかったし、ミュージカルを見慣れているわけではないので、楽しみ方がわからないということはあるかも知れない。エンターテイメントとして、きれいな衣装と大がかりな舞台装置や、火が走ったり、雷が光ったり、ファントムが消えたりする派手な演出を楽しめば良かったのかも知れない。
けれど、「演劇」のつもりで観にいった私には、144分間ひとときも休むことなく続く、マイクを通した大音量のセリフと歌が耐えられなかった。すべてのセリフが、舞台の中央の空中から聞こえてくる。
何故、あんなにボリュームを上げなければいけないのだろう。先日観たキャラメルとホールの広さはそれほど変わるとは思えない。あっちもマイクで拾っていたかも知れないが、最後方にいた私の席まで、それぞれの役者の口から、はっきりと肉声が聞こえてきた。
いくつかの、多分、素晴らしいのであろう歌の部分も、スピーカーを通した金属的な音のせいで、感動することが出来ない。さらに、ほとんどのセリフにメロディーがついているために、どうでもいいセリフの時は、先に進まないし、大事なセリフの時には、感情が読み取れない。まあ、広い劇場のミュージカルというのはそう言うものだよと言うことであれば仕方ないが、オペラ座の怪人という演目では、私は、葛藤が観たかった。
少なくとも、以前観た森繁久弥の「屋根の上のバイオリン弾き」は、歌も踊りも親子の心の襞も、すべて楽しむことが出来たし、あんなにずっとオペラのように歌ってはいなかった。上演が終わってのカーテンコールでの会場の拍手も、公平に言って「割れんばかり」とは言い難かった。特に、会場の照明がついてからは、普通、大きな拍手が続く中で、じれるくらいの間が空いてから、主役が登場するものだが、今日は、観客が拍手を止め、ぞろぞろ帰りだしているときに、慌ててキャストが出て来る始末だった。
しかし、観たことはないが、「キャッツ」なら、純粋に歌と踊りを楽しめそうな気もする。いずれにせよ、ある意味で、今日の経験で、私が演劇に求めているものが少しはっきりしてきたように思う。その為にも、もう少し、四季と付き合ってみようと思う。もし、このコラムをご覧になってる方で、御意見等があれば、是非、聞かせて下さい。お願いします。
立川に高校の関東大会を見にいった。もちろん、素晴らしい上演が沢山あるだろうが、一番の目当ては、去年、堺中が上演した「トシドンの放課後」を観るためだ。
午後から出かけたので、1本目は、拓殖第一(東京)の「夏だし、夜だし、夢だし」。題名からわかる通り、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」を、演劇部の劇中劇の形で展開させていくものだ。演技はしっかりしていたし、随所に新しい試みを取り入れていたと思うが、ともすると、有名な商業演劇の手法をいくつか取り入れたように移ってしまう場面があった。
2本目は、松戸国際(千葉)の「生徒総会」。今までに中学生の上演を何回か観たことがあるが、さすがに演技に切れがあり、面白かった。ただ、笑いの部分の演技の質や作り方が、「コテコテ」な気がした。
メインが喋っているときに、周りが騒いでいる所など、本当に騒いでいるのではなく、騒いでいる「感じ」を作っているだけで、きっかけで、全員振り向くのを待っている感じがした。リアクションの表情等もかなり全員が、オーバー目に仕上げてあった。しかも、何カ所もそう言うシーンがあり、すべて全く同じ演技の繰り返しに見えた。まあ、好みの範囲を出ないかも知れない。
面白かったのは、あちこちに「七人の部長」を感じたこと。これはもちろん、「生徒総会」の方が、「七人の部長」より先に書かれているのだから、私の問題なのだが、重なるテーマがあるだけに、セリフやシーンの作り方等が似ている感じがしてしまった。
最後に観たのは、友部(茨城)の「トシドンの放課後」。結果として、この作品が全国大会に出場することになった。多分、このレベルの学校は、全国のためにも褒め言葉より、率直な意見を求めていると思うので、あえて書かせて貰うが、感動できなかった。理由は大きく分けて二つある。
一つは、キャラクタの設定。この物語は、(私の解釈では)教室には入れない別室登校の男子生徒と、本当は純粋だが、その純粋さ故に次々に問題を起こしてしまう女子生徒のそれぞれの葛藤と交流、そして、そこに女子生徒の担任が大人の価値観で関わってゆくと言ったところが見所ではないかと思う。しかし、舞台の上の二人はともにステロタイプのキャラであったように思う。不登校=気弱・問題生徒=マッキンキンの頭。しかし、男子の演技はいかにも「気弱を作ってる」感じだったし、もちろん、金髪は脚本の指定だが、マッキンキンの頭に比べて、クビから下は仕草も含めて、全く普通の女の子だった。
二つ目は、音響効果。狙いなのかも知れないが、やたらと音量が大きく、また、おかしなタイミングで、急に入ったり消えたりする。いい演技に感情移入しかけるたびに邪魔をしていた。リハの問題や部員数等、いろいろ現場の問題があったのかも知れないが、もう少しきちんとした計画と練習と配慮が欲しかった。
もう一つ細かいことだが、非常にリアルな演技の作り方をしている中で、ところどころ、不自然に客席の方を向くシーンがあった。特に、ラストで別れ際に二人が礼をするシーンは、全く二人並んで客席を向く必然性がない。あれはとても重要なシーンだと思うが、もし、印象づけるためにそうしたのなら、成功してはいないと思う。
かなり辛口になってしまったが、トシドンは大好きな脚本。何か一つでも全国へ向けての参考になれば幸いです。夏は見にいきます。パワーアップした舞台を楽しみにしています。
午後から出かけたので、1本目は、拓殖第一(東京)の「夏だし、夜だし、夢だし」。題名からわかる通り、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」を、演劇部の劇中劇の形で展開させていくものだ。演技はしっかりしていたし、随所に新しい試みを取り入れていたと思うが、ともすると、有名な商業演劇の手法をいくつか取り入れたように移ってしまう場面があった。
2本目は、松戸国際(千葉)の「生徒総会」。今までに中学生の上演を何回か観たことがあるが、さすがに演技に切れがあり、面白かった。ただ、笑いの部分の演技の質や作り方が、「コテコテ」な気がした。
メインが喋っているときに、周りが騒いでいる所など、本当に騒いでいるのではなく、騒いでいる「感じ」を作っているだけで、きっかけで、全員振り向くのを待っている感じがした。リアクションの表情等もかなり全員が、オーバー目に仕上げてあった。しかも、何カ所もそう言うシーンがあり、すべて全く同じ演技の繰り返しに見えた。まあ、好みの範囲を出ないかも知れない。
面白かったのは、あちこちに「七人の部長」を感じたこと。これはもちろん、「生徒総会」の方が、「七人の部長」より先に書かれているのだから、私の問題なのだが、重なるテーマがあるだけに、セリフやシーンの作り方等が似ている感じがしてしまった。
最後に観たのは、友部(茨城)の「トシドンの放課後」。結果として、この作品が全国大会に出場することになった。多分、このレベルの学校は、全国のためにも褒め言葉より、率直な意見を求めていると思うので、あえて書かせて貰うが、感動できなかった。理由は大きく分けて二つある。
一つは、キャラクタの設定。この物語は、(私の解釈では)教室には入れない別室登校の男子生徒と、本当は純粋だが、その純粋さ故に次々に問題を起こしてしまう女子生徒のそれぞれの葛藤と交流、そして、そこに女子生徒の担任が大人の価値観で関わってゆくと言ったところが見所ではないかと思う。しかし、舞台の上の二人はともにステロタイプのキャラであったように思う。不登校=気弱・問題生徒=マッキンキンの頭。しかし、男子の演技はいかにも「気弱を作ってる」感じだったし、もちろん、金髪は脚本の指定だが、マッキンキンの頭に比べて、クビから下は仕草も含めて、全く普通の女の子だった。
二つ目は、音響効果。狙いなのかも知れないが、やたらと音量が大きく、また、おかしなタイミングで、急に入ったり消えたりする。いい演技に感情移入しかけるたびに邪魔をしていた。リハの問題や部員数等、いろいろ現場の問題があったのかも知れないが、もう少しきちんとした計画と練習と配慮が欲しかった。
もう一つ細かいことだが、非常にリアルな演技の作り方をしている中で、ところどころ、不自然に客席の方を向くシーンがあった。特に、ラストで別れ際に二人が礼をするシーンは、全く二人並んで客席を向く必然性がない。あれはとても重要なシーンだと思うが、もし、印象づけるためにそうしたのなら、成功してはいないと思う。
かなり辛口になってしまったが、トシドンは大好きな脚本。何か一つでも全国へ向けての参考になれば幸いです。夏は見にいきます。パワーアップした舞台を楽しみにしています。

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