偽演劇部日記
演劇開始 5
rin
2005年5月30日(月曜日) 17:08
運命に翻弄され、区立中学校の先生になってしまったりん先生、2年目の春にそれはおこった・・・。
「りん先生、演劇、やってみない?」
もと文学青年で演劇青年だったという英語の教授(というアダ名のロマンスグレーな先生)が職員室で近寄ってまいったのでした。
いや、別に、とその時は返事したのですが、これまた正直言うとやる気はありませんでした。のんびり週刊少年ジャンプの話などをしながらまったりと漫画談義をしている漫画部の空気がそれなりに馴染んできていたからです。
「そんなこと言わずに、漫画部の生徒達に聞いてみてよ。表現するってことは同じだからね!」
まあそんなことはあるのだろうか、と思って部活の生徒達にに演劇をやってみたいかね?と聞いてみると、意外なことに「やってみたい」という返事が返ってきました。おとなしい子は裏方で、元気な子は役者としてやってみる、と言うのでした。
そこで急遽、N中漫画部は春と冬は漫画、夏と秋は演劇という文化系異種格闘部とあいなったのでした。
さて、それで済むかと思った偽演劇部、英語科の教授先生がまずは脚本・演出を行って、初めての公演を執り行うことになったのでした、が・・・
(つづく) 次回、波乱のデビュー戦前夜!!
「りん先生、演劇、やってみない?」
もと文学青年で演劇青年だったという英語の教授(というアダ名のロマンスグレーな先生)が職員室で近寄ってまいったのでした。
いや、別に、とその時は返事したのですが、これまた正直言うとやる気はありませんでした。のんびり週刊少年ジャンプの話などをしながらまったりと漫画談義をしている漫画部の空気がそれなりに馴染んできていたからです。
「そんなこと言わずに、漫画部の生徒達に聞いてみてよ。表現するってことは同じだからね!」
まあそんなことはあるのだろうか、と思って部活の生徒達にに演劇をやってみたいかね?と聞いてみると、意外なことに「やってみたい」という返事が返ってきました。おとなしい子は裏方で、元気な子は役者としてやってみる、と言うのでした。
そこで急遽、N中漫画部は春と冬は漫画、夏と秋は演劇という文化系異種格闘部とあいなったのでした。
さて、それで済むかと思った偽演劇部、英語科の教授先生がまずは脚本・演出を行って、初めての公演を執り行うことになったのでした、が・・・

(つづく) 次回、波乱のデビュー戦前夜!!
演劇前夜 4
rin
2005年5月29日(日曜日) 17:59

このあたりは語ると長くなるので、割愛。
その節は、本当に大変お世話になりました…K校長…皆様…
さて、演劇部ではなく、なぜか漫画部を作ってしまったりん先生であったが、集まるところには集まるもので、N中には隠れオタクが多かったこともあり、それなりに平和な一年が経っていった。
ここで特筆しておくべきポイントは、りん先生が実は特殊技能として、漫画が書けたということである。(現在は学年通信程度でしか書いておりませんが)実はそうなんだ、りん先生、漫画を読むだけではなく、描くことができるのです。子どもの頃は真面目に漫画家になろうかと思っていたくらいに(笑)。
実は漫画というものも、お気づきの方がすでにおありかと存じますが、全て自分で演出するものなのです。ストーリー(脚本)、キャラクター(役者)、そしてネーム(下書きにあたるコマワリのこと)、果ては背景から照明効果まで。
ここは大きなコマで描く、ここは主人公の心の動きを出すので主人公の顔のアップ…など。
演出をするようになって感じたことは、舞台の演出と、漫画の描き方と、ほんのり似ているなあということです。語弊がありそうですが。漫画と一緒にするな!と言われればそれまでなのですけれど。
さて、小学6年生の中学校見学・部活動訪問も行なわれ、2年目の春、それはおこったのであった!!
(つづく)

演劇前夜 3
rin
2005年5月27日(金曜日) 17:02
今から5年前、東京都は学校の先生を新規にほとんどとらなかった時代がありました。中学校社会の採用数が1、応募数が200人で、その倍率はなんと200倍、という年です。いわゆる就職超氷河期って頃の話です。
就職活動というほどの気もなかったのんびり大学生のりんさんは、「どうせ合格しないだろう〜」と、地元の出身県ではなく、あえて東京都の教員採用試験を受けに行くことになったのでした。(東京都の申込用紙の方が出身県より記入欄が少なかったからという理由らしい)
ところがその年に限って、某I都知事が、めずらしいタイプの教員も採用しよう、みたいな命令を出したらしいんですね、気がつくと何故か採用通知が届いておりました。平成13年4月1日付けで某都内N中学校に新規採用教員として雇って貰えることになりました。
ここにりん先生誕生です。
20代の教員はめずらしかったのですが、ここで何か好きな部活を持っていいといわれました。そこでなぜかりん先生は漫画部を作ってしままうのでした。
(つづく)
まだ演劇部顧問への道は遠い!
就職活動というほどの気もなかったのんびり大学生のりんさんは、「どうせ合格しないだろう〜」と、地元の出身県ではなく、あえて東京都の教員採用試験を受けに行くことになったのでした。(東京都の申込用紙の方が出身県より記入欄が少なかったからという理由らしい)
ところがその年に限って、某I都知事が、めずらしいタイプの教員も採用しよう、みたいな命令を出したらしいんですね、気がつくと何故か採用通知が届いておりました。平成13年4月1日付けで某都内N中学校に新規採用教員として雇って貰えることになりました。
ここにりん先生誕生です。

20代の教員はめずらしかったのですが、ここで何か好きな部活を持っていいといわれました。そこでなぜかりん先生は漫画部を作ってしままうのでした。

(つづく)
まだ演劇部顧問への道は遠い!

リンク元 (2)
演劇以前 その2
rin
2005年5月26日(木曜日) 16:40
4年間で大学を出ることができなかった小生が、某T大学落語研究会で学んだことは「人がどうでもいいと思っている物事でも一生懸命やれば楽しい」という、人生を楽しむコツでした。それだけです。
馬鹿になる方法かなあ。現在はもう、連絡取っている当時のメンバーはほとんどいないのですが、みんな元気でやっているといいなあ。(ちょっと遠い目で黄昏れてみましたよ)
また、サークルとは別口で、下手な小説のまねごとみたいなものを書いていたこともここに正直に述べておきましょう。高校時代は文芸部でした(笑)。ちなみに中学時代は科学部でした。
振り返ってみると、お話しをつくることは3歳の頃から好きでした。
とはいえ、本当に演劇とはまったく縁のない生活をしていたのでした。
そんな小生が、大学を卒業出来ず、大学生活5年目に突入することに決定したときに、せっかく大学に居残るのだから、と学校の先生の資格をとってみようと思い立ったのでした。
18歳のピチピチ1年生に混ざって教職関係の授業を受けて、あれよあれよという間に教育実習に行くことになったのでした。
正直言いますと、それまで学校の先生になる気はあまりなかったんですよね。しかし、教育実習を乗り越えて、自分に向いている気もしましたし、実は子どもが好きなことを思い出しまして、教育実習に行った次の6月、教員採用試験を受けに行くことになったのでした。
次回、りん先生誕生編。
何故か難関と言われた採用試験に合格してしまったりん。
新任のりん先生を待ち受けるものは・・・?
なかなか演劇の話までたどりつけなくてスイマセンねえ・・・
(つづく)

馬鹿になる方法かなあ。現在はもう、連絡取っている当時のメンバーはほとんどいないのですが、みんな元気でやっているといいなあ。(ちょっと遠い目で黄昏れてみましたよ)
また、サークルとは別口で、下手な小説のまねごとみたいなものを書いていたこともここに正直に述べておきましょう。高校時代は文芸部でした(笑)。ちなみに中学時代は科学部でした。
振り返ってみると、お話しをつくることは3歳の頃から好きでした。
とはいえ、本当に演劇とはまったく縁のない生活をしていたのでした。
そんな小生が、大学を卒業出来ず、大学生活5年目に突入することに決定したときに、せっかく大学に居残るのだから、と学校の先生の資格をとってみようと思い立ったのでした。
18歳のピチピチ1年生に混ざって教職関係の授業を受けて、あれよあれよという間に教育実習に行くことになったのでした。
正直言いますと、それまで学校の先生になる気はあまりなかったんですよね。しかし、教育実習を乗り越えて、自分に向いている気もしましたし、実は子どもが好きなことを思い出しまして、教育実習に行った次の6月、教員採用試験を受けに行くことになったのでした。

次回、りん先生誕生編。
何故か難関と言われた採用試験に合格してしまったりん。
新任のりん先生を待ち受けるものは・・・?
なかなか演劇の話までたどりつけなくてスイマセンねえ・・・
(つづく)

演劇以前 その1
rin
2005年5月24日(火曜日) 19:51
まずは、小生がなぜこの長屋に入居したのか、そのきっかけから話すべきかもしれませぬ。
小生は現在東京都の一地方公務員になって5年目の若造なのですが、それまで正直言いますと、演劇とはたいして縁もユカリもなかったのでした。そうなんです。嫌いではなかったのですが、舞台に立つような華やかな(華やかなことだ、と思っていた)ものは自分には合わないなあと漠然と思っていましたし、観劇は人並みに好きですし映画も見るのはいいんですが、舞台に立つようなことは実は一度もしたことがなかったのでした。幼稚園での全員やらねばならないお遊戯以来ということになります。
舞台と書いて思い出したのですが、大学時代に少々、これ書いちゃっていいんですかね、実は落語研究会に属しておりまして、古典落語を少々たしなみました。舞台じゃなくて「高座」ならケイケンがあったわけですな。書いていて思い出しました。
とはいえ、それほど真面目な部員でもなく、マジメな部員(落語研究会でマジメな部員といってもたかがしれているのですが)とはあまりソリが合わなかったことも多々ありました。
というのも大学になってからようやく学問が面白くなってきたので、サークルなんぞそっちのけで図書館とか通っていたものですから(いや、それが正しい姿のハズなのですが)、土日のオチケンの営業などは任せきりで、今考えると確かに所属していたわりには不真面目な部員だったわけです。
ただ、落語というのは自分で言うのもなんですが、役者と演出・ときには脚本も自分でつくる一人何役もやらねばならない「場」なんですよね。なんだかんだ言って、現在の自分の素地の一部はあの4年間+@に培われた部分もあるのではないか、などと感じております。
つづく。
小生は現在東京都の一地方公務員になって5年目の若造なのですが、それまで正直言いますと、演劇とはたいして縁もユカリもなかったのでした。そうなんです。嫌いではなかったのですが、舞台に立つような華やかな(華やかなことだ、と思っていた)ものは自分には合わないなあと漠然と思っていましたし、観劇は人並みに好きですし映画も見るのはいいんですが、舞台に立つようなことは実は一度もしたことがなかったのでした。幼稚園での全員やらねばならないお遊戯以来ということになります。
舞台と書いて思い出したのですが、大学時代に少々、これ書いちゃっていいんですかね、実は落語研究会に属しておりまして、古典落語を少々たしなみました。舞台じゃなくて「高座」ならケイケンがあったわけですな。書いていて思い出しました。
とはいえ、それほど真面目な部員でもなく、マジメな部員(落語研究会でマジメな部員といってもたかがしれているのですが)とはあまりソリが合わなかったことも多々ありました。
というのも大学になってからようやく学問が面白くなってきたので、サークルなんぞそっちのけで図書館とか通っていたものですから(いや、それが正しい姿のハズなのですが)、土日のオチケンの営業などは任せきりで、今考えると確かに所属していたわりには不真面目な部員だったわけです。
ただ、落語というのは自分で言うのもなんですが、役者と演出・ときには脚本も自分でつくる一人何役もやらねばならない「場」なんですよね。なんだかんだ言って、現在の自分の素地の一部はあの4年間+@に培われた部分もあるのではないか、などと感じております。
つづく。



偽演劇部日記発動
rin
2005年5月23日(月曜日) 17:43
さて、それじゃはじめてみましょうか、ということで田舎の偽演劇部顧問の日記を書かせて頂くことになりました。りんと申します。
のんびり更新していく予定ですので、何卒よろしくお願いいたします。
さて、どこから話し始めたらいいのでしょうか。「中学校演劇のキャンパス」主催のシゲ先生との衝撃の出会いからか(言い過ぎか?)、小生と演劇とか・・・。
まあ、のんびりとエッセイめいた日記めいたものを描いて行きたいと思っています。こんなんでいいですかね、シゲ先生?
のんびり更新していく予定ですので、何卒よろしくお願いいたします。
さて、どこから話し始めたらいいのでしょうか。「中学校演劇のキャンパス」主催のシゲ先生との衝撃の出会いからか(言い過ぎか?)、小生と演劇とか・・・。
まあ、のんびりとエッセイめいた日記めいたものを描いて行きたいと思っています。こんなんでいいですかね、シゲ先生?

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