偽演劇部日記
演劇修業14
rin
2005年6月28日(火曜日) 16:52
夏がやってきました。
うおー、夏だー!!
りん先生はここでふと勉強してみようかと思い立ったのでした。
まだまだ教員人生2年と少々、半人前以下のりん先生でしたが、思い立って全国中学校演劇指導者大会なるものの応募用紙を頼りに、渋谷のオリンピックセンターに行ってみることにしたのでした。
参加費七千円。もちろん自腹です。当時としては研修の価格の規準など全くわからないので、思い切った出費でした。
研修としては認められなかったので、年休を取っての夏休み、汗を拭き拭き2泊3日の大冒険に出かけることにしたのでした。
てくてくてく。
なんせ「全国」。
中学校演劇の「指導者」の大会。
なんてすごそうな大会なのでしょうか。
ちっちゃいりん先生、大丈夫なのでしょうか。
こわい人とかいませんかね?ドキドキです。
でもまあともあれそれでもなにか、生徒に指導するいい方法とかあればいいなあと切に思った若造は、のこのこのこと渋谷へ出かけていったのでした。
うおー、夏だー!!
りん先生はここでふと勉強してみようかと思い立ったのでした。
まだまだ教員人生2年と少々、半人前以下のりん先生でしたが、思い立って全国中学校演劇指導者大会なるものの応募用紙を頼りに、渋谷のオリンピックセンターに行ってみることにしたのでした。
参加費七千円。もちろん自腹です。当時としては研修の価格の規準など全くわからないので、思い切った出費でした。
研修としては認められなかったので、年休を取っての夏休み、汗を拭き拭き2泊3日の大冒険に出かけることにしたのでした。
てくてくてく。
なんせ「全国」。
中学校演劇の「指導者」の大会。
なんてすごそうな大会なのでしょうか。
ちっちゃいりん先生、大丈夫なのでしょうか。
こわい人とかいませんかね?ドキドキです。

でもまあともあれそれでもなにか、生徒に指導するいい方法とかあればいいなあと切に思った若造は、のこのこのこと渋谷へ出かけていったのでした。

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脚本公開13
rin
2005年6月19日(日曜日) 15:49
一応天下の週刊少年Jなので、S英社編集部に電話してみました(笑)。上演許可とかいるのかなあ、と思いまして。
その結果、「一切うちではそういうのは認めておりません」の一点張りで、話になりませんでした。まあ、気持ちはわかるのですが、かなり横柄な態度だったので、ちょっとむかついたことを覚えています。
まあそれならしょーがないかと思い、作者に直接手紙を書くことにしてみました。
ついでに生徒にも書かせてみたりして・・・。
返事来るといいねえ、などと言っていたのですが、その漫画家のS先生はその後2本ほど読み切りを書いた後、正式にJ誌でデビュー、「J誌っぽくない漫画(コミックス1巻のフレーズ)」といわれつつも人気をゲット、現在も連載中です。
連載開始によりお忙しくなったのでしょう、お返事をいただくことは出来なかったのですが、最終ページの目次にある作者後書きのコーナーで、N中の名前を出してもらい、「N中のみなさんに僕のデビュー作を演劇にして頂きました。とても嬉しいです!」(2004年8号)とコメントをいただきました(一部省略(笑)。
また、コミックスの方でも「中学生に演劇にしてもらいました」とコメントがあったり、生徒たち(と、顧問)にはたいへん励みになりました。
S先生、ありがとうございます。
J誌的にあまりおおっぴらにしてはいけないような気がしますので、伏せ字ですが、実はそんな感じでした。
さて、季節は夏になります。
その結果、「一切うちではそういうのは認めておりません」の一点張りで、話になりませんでした。まあ、気持ちはわかるのですが、かなり横柄な態度だったので、ちょっとむかついたことを覚えています。

まあそれならしょーがないかと思い、作者に直接手紙を書くことにしてみました。

返事来るといいねえ、などと言っていたのですが、その漫画家のS先生はその後2本ほど読み切りを書いた後、正式にJ誌でデビュー、「J誌っぽくない漫画(コミックス1巻のフレーズ)」といわれつつも人気をゲット、現在も連載中です。
連載開始によりお忙しくなったのでしょう、お返事をいただくことは出来なかったのですが、最終ページの目次にある作者後書きのコーナーで、N中の名前を出してもらい、「N中のみなさんに僕のデビュー作を演劇にして頂きました。とても嬉しいです!」(2004年8号)とコメントをいただきました(一部省略(笑)。
また、コミックスの方でも「中学生に演劇にしてもらいました」とコメントがあったり、生徒たち(と、顧問)にはたいへん励みになりました。

J誌的にあまりおおっぴらにしてはいけないような気がしますので、伏せ字ですが、実はそんな感じでした。
さて、季節は夏になります。
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脚本公開12
rin
2005年6月15日(水曜日) 17:10
一応書いてみた脚本なるものを、生徒達に公開してみる。
主役は二人の魂を回収する天使。(まあ死神なんですが)原作の漫画では小さい少女と青年がコンビを組んで自転車でおじいさんの霊魂を追いかけるのですが、ここでふと、N中の役者を考えてみると、看板役者のアキラが実は150センチ(当時)、美少女達の方が大柄な子が多かったので、主役を男女逆にして、ちいさい男の子とお姉さん天使の組み合わせに挑戦。自分で脚本をかくとなると、こういった微調整がいくらでもできることも非常に便利です。
まあ、生徒はやはり自分のために書かれた役だとわかるもので、それぞれ配役が決まっていきます。
まずは読み合わせてみて、言いづらい台詞など、どんどん変更していきます。わかっているだけで3校まで出しました。
コミカルな役割の3人組の悪役には脚本家志望の部員の他、なんと芸達者な生徒会長までかつぎだすことに。
さて、物語が動きはじめました。
まだ6月です。 区大会は秋。
(続く)
原作の漫画名は一応ふせておきますが(笑
漫画マニアの人にはわかるかと存じます。
主役は二人の魂を回収する天使。(まあ死神なんですが)原作の漫画では小さい少女と青年がコンビを組んで自転車でおじいさんの霊魂を追いかけるのですが、ここでふと、N中の役者を考えてみると、看板役者のアキラが実は150センチ(当時)、美少女達の方が大柄な子が多かったので、主役を男女逆にして、ちいさい男の子とお姉さん天使の組み合わせに挑戦。自分で脚本をかくとなると、こういった微調整がいくらでもできることも非常に便利です。
まあ、生徒はやはり自分のために書かれた役だとわかるもので、それぞれ配役が決まっていきます。

まずは読み合わせてみて、言いづらい台詞など、どんどん変更していきます。わかっているだけで3校まで出しました。
コミカルな役割の3人組の悪役には脚本家志望の部員の他、なんと芸達者な生徒会長までかつぎだすことに。

さて、物語が動きはじめました。
まだ6月です。 区大会は秋。

(続く)
原作の漫画名は一応ふせておきますが(笑
漫画マニアの人にはわかるかと存じます。
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脚本準備11
rin
2005年6月10日(金曜日) 20:39

N中の誇るオタク集団筆頭の一人、少年Mがある漫画の話をしてくれました。超有名雑誌・週刊少年Jに読みきりで載っていた新人さんの作品なんだそうです。
「とにかくさ、味があるんですよ。絵はまだうまくないんだけれど、なんていうか。イチオシだね。俺はね、先生。舞台を自転車で走り回ってみたいんです」
「いや、舞台の上を自転車はまずいだろう」
そんな会話があったのですが、学校に漫画もってきちゃいけないものなんで、なんとなくしばらくそのままになっていたのですが、りん先生がふとその漫画が載っている号のJ誌を入手、切り取って読んでみたというわけです。
・・・自転車で走り回るのは無理だけど、
ぐるぐる走り回るのはできるかな。
で、早速最初の原稿を書いてみたわけです。
さて、生徒たちの反応や、いかに。
(つづく)
ちなみにその新人漫画家さんはなんと現在J誌の看板作家のお一人になっているのでした。先見の明アリだよ、M!我が漫画部のレベルの高さが伺えるエピソードですな(笑)!!
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脚本準備 10
rin
2005年6月08日(水曜日) 17:45
お、とうとうこの偽演劇部日記も10回目ですね。どなたが読んでいらっしゃるのかは謎ですが、まあのんびりと書いていきたいと思います。
さて、りん先生3年目の春がやってきました。偽演劇部は2年目に突入、かなり優秀なメンバーが集まっています。
ところがこれという脚本が見つかりません。春。
そんな中ふと、りん先生は気がついてしまいます。
脚本なければ自分で書けばいいんじゃないかな。
自分で書けばいいんだ、と気がついてしまったりん先生。
生徒達に合う脚本がないのなら、自分の生徒達に合わせた脚本を、自分で書けばいいんじゃないでしょうか。
と、いうわけで、生徒達に「脚本にしてみたい話があればなんでもいいので持ってこよう」と声をかけました。・・・すると・・・。
(つづく) さあ、脚本家・りんが誕生する・・・のか・・・?
さて、りん先生3年目の春がやってきました。偽演劇部は2年目に突入、かなり優秀なメンバーが集まっています。
ところがこれという脚本が見つかりません。春。
そんな中ふと、りん先生は気がついてしまいます。
脚本なければ自分で書けばいいんじゃないかな。
自分で書けばいいんだ、と気がついてしまったりん先生。
生徒達に合う脚本がないのなら、自分の生徒達に合わせた脚本を、自分で書けばいいんじゃないでしょうか。
と、いうわけで、生徒達に「脚本にしてみたい話があればなんでもいいので持ってこよう」と声をかけました。・・・すると・・・。
(つづく) さあ、脚本家・りんが誕生する・・・のか・・・?
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千両役者 9
rin
2005年6月07日(火曜日) 18:29
N中偽演劇部(その実態は漫画部)、3年目に入りました。
りん先生も学校の先生になって3年目です。
りん先生はもちあがって3年生の副担任、アキラたち偽演劇部員は2年生です。1年生に数人(役者は1名、あとは裏方数名)、3年生は新規募集は一切しなかったのでゼロということでスタートです。
英語科の教授は3学年でりん先生と同じ副担任だったのですが、教授先生、黄金週間があけたと思ったら、そのまま入院・休職なさってしまいました。偽演劇部員にはとても人気があった先生だったので、いきなり意気消沈です。
教頭先生は「りん先生に演劇の指導は無理でしょう。区大会などの参加なんてやめた方がいいですよ」と何度か優しく進められたのですが、生徒はリベンジに燃えておりました。
N中の誇るオタク衆・アキラの他にも、漫画好きな美少女たちも昨年度の悔しさを忘れてはいなかったのです。
なんとか校長先生と教頭先生にお願いして出場のめどをつけると、脚本探しです。当時はインターネットで脚本を探すなんてことは出来ず(りん先生自体がまだネットをひいていなかった)、ほの暗い図書室の奥で古ぼけた子ども向けの脚本集を開いてみたりしたのですが、
・・・・・どれも、なんか古い。
うちにはアキラをはじめ、個性豊かな役者もスタッフもいるのだから、なんかこう、面白い脚本はないかなあ、と思ってりん先生は図書室の中の「演劇」と名が付く本を読みあさったのでした。
うちの、千両役者たちを活かすお話しはないものでしょうか。
りん先生も学校の先生になって3年目です。
りん先生はもちあがって3年生の副担任、アキラたち偽演劇部員は2年生です。1年生に数人(役者は1名、あとは裏方数名)、3年生は新規募集は一切しなかったのでゼロということでスタートです。
英語科の教授は3学年でりん先生と同じ副担任だったのですが、教授先生、黄金週間があけたと思ったら、そのまま入院・休職なさってしまいました。偽演劇部員にはとても人気があった先生だったので、いきなり意気消沈です。
教頭先生は「りん先生に演劇の指導は無理でしょう。区大会などの参加なんてやめた方がいいですよ」と何度か優しく進められたのですが、生徒はリベンジに燃えておりました。
N中の誇るオタク衆・アキラの他にも、漫画好きな美少女たちも昨年度の悔しさを忘れてはいなかったのです。
なんとか校長先生と教頭先生にお願いして出場のめどをつけると、脚本探しです。当時はインターネットで脚本を探すなんてことは出来ず(りん先生自体がまだネットをひいていなかった)、ほの暗い図書室の奥で古ぼけた子ども向けの脚本集を開いてみたりしたのですが、
・・・・・どれも、なんか古い。

うちにはアキラをはじめ、個性豊かな役者もスタッフもいるのだから、なんかこう、面白い脚本はないかなあ、と思ってりん先生は図書室の中の「演劇」と名が付く本を読みあさったのでした。
うちの、千両役者たちを活かすお話しはないものでしょうか。
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千両役者 8
rin
2005年6月06日(月曜日) 19:46

一人一人の部員に思い出もあるし話せばきりはないのですが、まあかいつまんで。
N中演劇部がその後活躍する大きな原動力のひとつが、部員の半数がなんと男子だったということは特筆すべき事項でした。(運動部と兼部の生徒も多かったのですが)
ここの読者の皆様にはすでに心当たりがあると思いますが、中学校の演劇部って女子生徒だけになりやすいんですよね。なぜかは分からないのですが、男子部員がいない演劇部がほとんどです。
男子生徒諸君。演劇は面白いぞ。
もともと漫画部だったN中は、最初から男子生徒が何人かおりました。そのうち3名〜5名は裏方だけではなく舞台に出ることもできたので、脚本その他のバリエーションがかなり広がったのでした。
特にその中でも、その年のN中偽演劇部には、とんでもない新人が入っておりました。
名前をA…仮にアキラとしましょう。
実はこの偽演劇部日記の「4」で、「小学6年生の中学校見学・部活動訪問も行なわれ〜」とあったときにさりげなく登場していた小学6年生の一人で、テニス部と兼部でした。
このアキラ少年が、その後3年間N区演劇界の台風の目になっていくのでした。

(つづく)
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演劇開始 7
rin
2005年6月03日(金曜日) 20:57

日本語の劇は英語の先生が書いた65分に及ぶ大作で、都大会出場権利(45分以内)は最初から特に希望はしないので、ということで出場させていただいたものでした。受験生である3年生も多く出演しており、みんな大変よく頑張りました。
最後の一ヶ月足らずで演出家が変わったのにもかかわらず、本当によく頑張りました。よく頑張ったと思います。あの状況であの長い劇を、よくやったと思います。
ただ、顧問兼演出家のりん先生としては、顧問会議に出していただいたりする中で、演出などで工夫する点がいくつもあったなあ…と反省する最初の機会になりました。音響とか照明とかも、初めてだったので、最後の調整は大変でした。
英語劇はもっと大変でした。時間はわずかな劇だったのですが、こちらは1年生を中心に、演目はなんとシェイクスピア。
それでもりん先生が英語の先生の代理で入っていったときには、なんとかカタカナでセリフを覚えているものの、当然のように自分たちが何をしゃべっているのかを全く理解していない状態でした。
…んでもって、日本語劇の翌週だったかな、英語劇の区大会に行ったのですが、なんせ全員1年生ですから、そりゃあ未熟なわけです。
前に座っていた他校の中学生からヤジが飛び、舞台を降りた途端に泣き出す子が出たほどです。
「先生、くやしい。もう一度、やりたい。」
「…そうか。もう一度、やりたいか…」
甘酸っぱいデビュー戦の秋はこうして終わっていったのでした。
(続く)
次回、やはりうちの看板俳優Aの話でもせねばならないでしょうか。
でもそんな寄り道をしていると、シゲ先生との出会いまでたどり着きませんな(笑)。
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演劇開始 6
rin
2005年6月01日(水曜日) 19:21

ところが舞台の二週間前。
英語の先生が誰にも言わず入院してしまったのです。

朝の職員打ち合わせで教頭先生から、「ちなみに、劇の方は辞退しておきましたから」といきなりの事後承諾。
な、夏休みの間ずっと練習していたんですけれど!ということで、部員と頼み込んで辞退取り消しをお願いする事になったのですが、ちょっと大騒ぎになってしまったのでした。
それでも、再び一致団結した我々の結束は固く、あやしい初演出の舞台の幕はあがったのでした。
(続く)
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